「氷の聖地」温暖化に警鐘 奈良・福住の氷室で残量急減
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関西タイムライン
2020/7/30 2:01
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奈良県には北部を中心に「かき氷」を扱う店が50店以上あり、柿の葉寿司店やイタリア料理店のメニューにも登場する。かき氷の広告でよく見かけるのが"氷の聖地"といううたい文句だ。古代に同県天理市福住町周辺の氷を天皇に献上した故事があり、最古とされる氷室神社があるからだという。福住町を訪ねると、地球温暖化について考えさせられる復元氷室の行事が行われていた。

天理市北東部、福住町の標高約480メートルの山中に高さ約3メートルの茅(かや)葺(ぶ)き屋根の小屋がある。中をのぞき込むと、中心部に大きな四角い穴があり、周りに茅が敷き詰められていた。町民らが1999年に造った古代の「復元氷室」だ。町では毎年2月に3000キログラムの氷を氷室に搬入し、茅を小屋いっぱいに詰め込んで密封。それを7月の「氷まつり」の時に運び出している。

■仁徳天皇に献上

この行事は日本書紀に記された4世紀ごろとされる故事にちなむ。仁徳天皇の異母兄弟の額田(ぬかた)大中彦皇子が都祁(つげ)(福住町周辺)に狩りに来た時に小屋を発見。この地を治めていた闘鷄(つげ)稲置(いなぎ)大山主命(おおやまぬしのみこと)に尋ねると、氷を貯蔵する氷室だと答えた。皇子は氷を持ち帰り仁徳天皇に献上。天皇は喜び、以後毎年献上するようになったという。地元では氷室跡と見られる大きな穴が20カ所以上確認されている。

都祁の氷室から宮中への氷の献上は奈良時代も行われていた。1988年の平城京跡長屋王邸発掘調査では「都祁氷室」などと書かれた和銅(わどう)5年(712年)の木簡が見つかっている。

19日午前9時半。町民や関係者ら約50人が集まり「氷まつり」が始まった。祝詞を奏上したのが福住町の氷室神社の中村友巌宮司だ。氷室神社は奈良市にもあるが、福住の方は414年創建との説があり日本最古とされる。氷室の入り口が開けられ、茅の束が次々と運び出される。気温は25度を超えているが氷室内は10度程度だ。作業を始めて1時間近く。町民の一人が「氷が見えたぞ」と声をあげた。見ると穴の底からでこぼこの氷が顔を出した。

例年なら地元の小学生が氷を福住小学校に運ぶイベントがあるが、今年は中止に。それでも氷の出来を心配した男の子が数人集まってきた。「かき氷にして食べたい」「とけないのはすごい」と興奮気味だ。

この氷室に近年"異変"が起きている。残量が大幅に減少しているのだ。今年の残量は515キログラム、残量率は17%。20年前の2000年の残量2100キログラム、残量率70%と比べるとかなり少ない。ここにも地球温暖化が影を落としている。

■「氷は貴重」伝える

古代の氷室は小高い山の尾根に造られることが多い。気温が低く尾根特有の風通しと水はけの良さがあるからだ。だが最近は平均気温が全般に上昇。奈良地方気象台によると、昨年の奈良の年間平均気温は16.3度と10年前比で1.2度、30年前比で1.5度高い。

「古代の氷は庶民の手に入りにくい貴重品だった」と話すのは郷土史研究グループ「福住いにしえ会」代表の岡田忠弘氏だ。宮中では水などの飲み物を冷やし、時にはお酒をオンザロックで楽しんだ。高貴な人が亡くなった時には遺体の腐敗防止に利用した。「作況予想の占いにも使われたようだ」(岡田氏)という。

「現代では氷を簡単に作れるのでありがたさを忘れがち。氷と触れ合う身近な体験や祭典で、昔の氷作りの大変さや感謝の気持ちを伝えたい」というのは福住町の氷室神社の中村宮司。「氷の大切さを知れば、地元の氷室や神社への関心も高まる。温暖化や海面水位の問題についても深く考えるようになる」と話す。

温暖化に警鐘を鳴らす"氷の聖地"からのメッセージに耳を傾けたい。

(浜部貴司)

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