進むも地獄、退くも地獄 「Go Toトラベル」大混乱 - 日本経済新聞
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進むも地獄、退くも地獄 「Go Toトラベル」大混乱

今や「いわくつき」となってしまった、国内旅行の代金を補助する国の経済喚起策「Go Toトラベル」。東京を発着する旅行や東京都民の利用は対象から外し、22日から始まったが、事業内容を疑問視する声は恩恵を受けるはずの旅行会社や旅館・ホテルからも上がる。「Go To」は前進するにも後退するにも「泥舟」。底の見えない沼にはまってしまった。

「Go To」は4月に実施が決まった、予算規模が約1兆3500億円に上る大型の旅行需要喚起策だ。新型コロナウイルスの影響で需要が急減した観光業界を支援するため、1人当たり1泊2万円、日帰り旅行の場合は1万円を上限に国内旅行代金の半額を国が補助する。補助額の7割は旅行代金の割引に充てられ、残りの3割は旅先で使えるクーポンとして支給される。

当初は8月上旬から開始予定だったが、7月23日からの4連休の旅行にも補助を適用できるよう、開始を7月22日に前倒しした。クーポンの発行時期は9月以降になり、それまでは旅行代金の割引のみ受けられる。事業開始前に既に予約された旅行については「需要喚起という趣旨に合わない」と支援の対象外とする方針だったが、利用者や観光業界からの反発の声が大きく、対象とするよう見直した。

こんな詳細が発表されたのが7月10日だ。ただ、東京都内を中心に「第2波」ともいえる感染拡大が押し寄せる中、旅行を後押しする政策の実施に反発の声は高まった。また「後出しじゃんけん」のごとく制度のより細かい内容が観光庁のホームページ上に「Q&A」の形で公開され、業界や利用者の混乱を招いた。

例えば既に予約された旅行の扱い。支援の対象とし、旅行後に利用者が手続きすれば割引分の還付を受けられるとの説明が10日にあったが、13日には8月末までの旅行がその対象となり、9月以降の予約済みの旅行に関してはどう扱うか決まっていないことが明らかになった。都内に住む20代の会社員は「11日に9月末の旅行を支援を当て込んで予約したが、対象かどうかわからない。キャンセルしたほうがよいのか……」と困惑気味に話した。

しかし、ここまでは今考えると些末(さまつ)な話だった。17日には感染拡大が目立つ東京都内を発着する旅行や、東京都民の利用は支援の対象外となることが決まったのだ。

「東京除外」の問題点はいくつかある。一つは、政府が政策によって打ち出すメッセージが、東京とそれ以外のエリアに対して正反対に届いてしまうという不整合だ。

格安航空会社(LCC)、ピーチ・アビエーションの森健明最高経営責任者(CEO)は「Go To」の一番の意義として「政府が『旅行していいですよ』『旅行してください』というメッセージを発するということ」を挙げた。

観光業界は支援自体がありがたいのはもちろんだが、何より国民が再び旅行への意欲を取り戻すきっかけとして「Go To」に期待を寄せていた。しかし、「東京除外」は、都民に対して、むしろ「旅行自粛」を求めるという正反対のメッセージになってしまう恐れがある。

キャンセル料の扱いの問題も噴出した。緊急事態宣言下で「外出自粛」が求められていた間は、航空・鉄道各社や旅館・ホテル、旅行会社の多くが日程の変更やキャンセルにかかる費用を無料にする対応を取った。今回、都民によるキャンセルに対する手数料の扱いはどうなるのか。

東京除外が発表された17日、赤羽一嘉国土交通相はキャンセル料を負担しない方針を明らかに。一部の旅行会社は独自に東京除外をきっかけとしたキャンセルには手数料を徴収しない措置を取った。ただその余力に乏しいからこその「Go To」。国による方針転換が原因なのだから、国がキャンセル料を負担すべきだとの声が上がった。

同日には赤羽国交相が所属する公明党の石田祝稔政調会長から予約のキャンセルが出た場合の対応を国が検討すべきだとの考えが示され、菅義偉官房長官は20日、キャンセル料の補償を検討する考えを明らかに。21日には赤羽国交相がキャンセル料の補償を表明した。

詳細が発表された10日から東京除外が発表された17日までに予約された旅行が対象で、旅行会社などは消費者からキャンセル料を徴収せず、国が「実損相当額」を事業者に補償する。実損相当額は本来のキャンセル料の最大3割程度になるとみられるが、その水準に妥当性はあるのか、さらに財源をどうするかなどの問題は依然残る。

3点目として、東京除外によって「Go To」の経済効果が薄れるとの声も大きい。東京都によると、2018年の都内の宿泊を伴う観光客(日本在住者)数は延べ3552万人。日帰り客は年間延べ5億人に上った。さらに東京都民は1400万人超。厚生労働省の「賃金構造基本統計調査」などを見れば、都道府県別に見た所得水準も群を抜いて日本一だ。東京除外によって「Go To」の個人消費の押し上げ効果は1年間で約1.5兆円減るとの見方(野村総合研究所の木内登英エグゼクティブ・エコノミスト)もある。

そもそも、東京除外が実効性のある形で実現できるかもわからない。宿泊施設の利用や旅行の予約の際は、利用者に運転免許証や健康保険証などを提示してもらい、居住地を確認することになっている。徹底できなければ、「同じ納税者なのに政策の恩恵を受けられない」と嘆く都民の不公平感がさらに高まる可能性もある。

「Go To」の制度設計自体に疑問を呈する声も多い。温泉旅館やホテルなどを多く運営するある大手事業者は宿泊者同士の「社会的距離」を保つため、稼働率を自発的に5割までにとどめる措置を取っている。同事業者の担当者は「『Go To』がなくても、既に稼働率は(上限の)5割に近い。恩恵はほとんどない」とした上で「政策が本当に救うべきはマーケティング体制がしっかり整えられている我々よりも、中小の事業者ではないか」と話す。

しかし「Go To」は1泊1人最大2万、半額までの補助。1泊2日で2万円の旅行プランでは1万円しか補助を受けられないが、4万円のプランなら上限の2万円の補助が受けられる。自然と安い旅館に泊まるより人気の高い高級旅館に、移動手段もLCCではなく品質の高いフルサービスキャリアに、と最大限の補助を受けようと消費者心理が動く可能性が高い。

中小の宿泊業者は「Go To」に対して、冷ややかな声を寄せている。宿泊業者が「Go To」に参加登録するには、ビュッフェ形式の食事を個別で提供したり、宿泊者全員に検温したりするといった感染対策が求められるが、人数や予算に限りのある中小事業者には重い負担だ。

長野県野沢温泉村で民宿を営む女性は「うちみたいな家族経営の小さな宿泊施設は、館内に消毒液を設置したり、宿泊者にマスク着用をお願いしたりといったことしかできない」と話す。例年、夏季の週末は9室ある客室全てが埋まるほど盛況だったが、今年は半分程度。平日は1部屋しか埋まらないことも多いという。厳しい経営状況だが、「Go Toで求められるレベルの感染対策はできないと思う。今のままではGo Toに参加すること自体難しい」とあきらめ顔だ。

そもそも、感染対策を含め、細かな運用規則が定まっていないことも課題だ。小竹屋旅館(新潟県柏崎市)の杤堀耕一代表は、「通常は県や市町村の観光協会を通じて宿泊施設に情報が入ってくるが、今回は一切ない。うちの旅館がキャンペーンの対象になるかどうかすら分からない」と戸惑う。

17日には赤羽国交相が若者や高齢者による団体旅行について「控えていただきたい」と発言。補助の対象から外れるとの見方が広がり、「何歳までが若者で、何歳からが高齢者なのか基準が示されていない。何人からが団体旅行になるのかも分からない」(中小宿泊業者)との声も上がった。

ところが観光庁は20日に更新したホームページ上のQ&Aの中で「団体旅行ということをもって支援の対象外とするものではなく、個人旅行か団体旅行であるかにかかわらず、感染予防対策を徹底頂けない場合は支援の対象外となる」と軌道修正した。

それでも団体旅行の場合は例えば宿泊客が大人数で雑魚寝したり、互いに密接しながらマスクをせずに大声で会話したりしていた場合に事業者側が注意する必要があるという。いずれにせよ団体旅行は自粛ムードが広がり、また受け入れ側の対応もかなり煩雑になりそう。温泉地の地場の低~中価格帯の大型ホテルなど、団体客を主な顧客層とする事業者にとっては逆風だ。

観光消費がもたらす生産波及効果は55兆円

7月27日からは旅行・宿泊プランを販売時点で代金の補助額を割り引いて旅行会社や旅館・ホテルが提供できるようになる。利用者としては便利になるが、国の補助金が直接入るまで、事業者は実質的に代金の「立て替え」をしなければならない。大手にはその余力があっても、中小は資金繰りに苦慮する可能性もある。

問題点を抱えたまま走り出す「Go To」に対して、全国知事会は感染状況に応じて「対象範囲を機動的に見直す」ことを求め、ネット企業などが加盟する経済団体、新経済連盟は「リスクが極小化するまで延期すべきだ」と声明を出した。

さらに新経済連盟の代表理事で、「楽天トラベル」を抱える楽天の三木谷浩史会長は自身のツイッターに「流石にGoToは、感染が落ち着いてからにしないと行けないと思う」と投稿。恩恵を受けるはずの事業者・自治体からも延期・見直しの声が上がる。

その一方で、観光業界の懐事情は切羽詰まっている。

観光庁によると主要旅行会社の5月の総取扱額は海外旅行で前年同月比99%減、国内旅行も96.6%減まで落ち込んだ。6月末には中堅旅行会社のホワイト・ベアーファミリー(大阪市)が民事再生法の適用に追い込まれている。一部からは観光業界に直接補助金を支給することを求める声もあるが、支援する対象をどう絞り込むか、また経済効果の希薄化、さらにコロナ禍以前から競争力に乏しい事業者の「淘汰」を阻害するのではないか、といった問題点が指摘され、実現性は乏しい。

進むも地獄、退くも地獄という袋小路に追い込まれてしまった「Go To」。拙速にキャンペーンを推し進めた背景には、国内、特に地方経済の観光への依存度がここ数年高まってきたことにある。

観光庁によると18年の国内における観光消費額は27兆4000億円だった。けん引役はインバウンド(訪日外国人)客の増加だ。ただコロナ禍で訪日需要はほぼゼロに。業界の頼みの綱が国内の観光消費額の8割弱を依然占める日本人による国内旅行需要だった。それもやはりコロナ禍で喪失した。

その影響は、単に旅行業界を苦境に立たせるだけにとどまらない。観光消費がもたらす生産波及効果は55兆4000億円で、この内付加価値効果は28兆2000億円となり日本のGDPの5.2%を占める。旅行需要の喪失がもたらす国内経済、特に地方経済への影響は深甚だろう。

「Go To」は、新型コロナの流行拡大が終息するまでの間、経済を殺さないための苦肉の延命策と言っていい。

今のところ「Go To」は、1兆3500億円の予算を使い切った時点で終了となる予定だ。旅行代金の半額を支援することを考えると、この施策によって増える観光消費額は2兆7000億円になる。

この金額は、18年の国内の観光消費額の1割に過ぎない。現地での飲食などの追加支出等を含めても観光関連業界の売り上げの1~2カ月分しか賄えない計算だ。コロナ禍がもし年内にも収束すれば、つなぎの延命策である「Go To」は成功といえるかもしれない。ただ、長期化して産業構造が根本から破壊されてしまえば、観光関連の事業者の淘汰を遅らせただけにすぎない施策だったということになる。コロナ収束が先か、支援の兵たん切れが先か。その危うい賭けに出ざるを得ないほど、観光需要の蒸発による地方経済の崩壊という未来が現実味を帯びており、そのシナリオを前に政府は追い込まれているともいえる。

また、今回の混乱は観光業界の課題も浮き彫りにさせた。キャンペーン開始が予定より早まった背景には、書き入れ時の夏休みシーズンに間に合わせたいという思惑もあった。

観光業界に詳しい東京女子大学の矢ケ崎紀子教授は、「業界では、特定の時期に需要が偏るのが長年の課題だった」という。需要が偏っていれば、経営は不安定になり、生産性も低くなる。「需要が特定の時期に集中しなければ宿泊業は生産性を上げやすくなる」と指摘する星野リゾートの星野佳路代表は「Go To」について「例えば平日のサポート(支援額)を土日より厚くしたり、長い期間使えるようにしたりして、国内の旅行需要が分散するような策を望んでいる」と話す。

一方で、矢ケ崎教授は、「日本では、働き方が固定的で休みが特定の日に集中しており、観光業者の自助努力だけでは解決するのは難しい」とも指摘する。

経済構造、企業のマーケティングから個人の働き方まで、「Go To」という延命策で時間が稼げている間に、ただ古いものを生き延びさせるのではなく、根本から見直し、構造自体を変えなければならないようなものが山積している。

(日経ビジネス 白井咲貴、高尾泰朗)

[日経ビジネス電子版 2020年7月22日の記事を再構成]

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