五輪に思う 資生堂社長兼CEO 魚谷雅彦
[有料会員限定]
1964年の東京五輪・パラリンピックのとき、私は小学校4年生だった。カラーテレビが普及し始めた時代。我が家も新しいテレビを購入し、家族でくぎ付けになった。社会人になって日本コカ・コーラで働いていたこともあり、五輪とは濃い付き合いをさせてもらっている。
コカ・コーラは28年のアムステルダム大会からスポンサーとして大会をサポートし続け、五輪の仕事がしたくて入社する人もいるくらいだ。私も98年の長野冬季...
この記事は会員限定です。登録すると続きをお読みいただけます。
残り461文字