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「世界のシマノ」ブランド築く 島野喜三氏死去

(更新)
島野喜三氏

3日に亡くなった島野喜三氏は30歳の若さでシマノ初の海外現地法人の社長に就任。欧米で自転車部品や釣り具の販路を開拓し、「世界のシマノ」のブランドを築いた。創業者である父、庄三郎氏や兄にものづくりを学び、自らは斬新なアイデアで需要を創造した。英語を社内公用語とするなど経営のグローバル化も推し進めた。

1934年に三男として本社がある堺市で生まれる。小学生時代はわんぱくで兄とのけんかが絶えず、日本刀を持った父に「言うことを聞かないなら切腹しろ」と戒められたこともある。

慶応大学の経済学部を卒業後、自動車販売会社を経て58年に島野工業(現シマノ)に入社。65年、同社初の海外拠点である米販売会社の社長に就任した。以来、米国在住歴は27年。自転車部品販売のため全米200カ所以上の取引先を回った。

同社は複雑で多様な形の部品をつくれる「冷間鍛造技術」を62年に実用化し、品質の評価を高めていた。喜三氏は子どもたちに人気のクルマをまねた3段変速のレバーを開発するなど遊び心も交えて需要を創りだした。

80年代に米国で起こったマウンテンバイク・ブームも的確に捉えた。同社製のレース用機材を使った選手が著名なロードレースで優勝するなど海外でシマノのブランドイメージが高まっていく。

95年に4代目社長に就任。98年には「本当の意味でチームシマノにしたい」との思いから英語を社内の公用語にした。70年に約23億円だった海外売上高は、会長就任前の2000年に約1082億円と40倍以上になった。

19年12月期の連結売上高は約3600億円で海外が約9割を占める。だがゴルフ仲間でもある堺商工会議所の葛村和正会頭には「堺には恩義がある。本社は移さない」と語っていた。葛村氏は「律義できめ細かな心配りをする人だった」と語る。

(堺支局長 塩田宏之)

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