27歳でがん、2度再発も生還 患者仲間が支えに
天野慎介さん(1)グループ・ネクサス・ジャパン理事長

コラム(社会・くらし)
2020/7/5 2:00
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27歳だった2000年の夏、仕事中に突然、声が出なくなる経験をした。高熱も繰り返すようになった。風邪かと思い耳鼻科医を受診すると「扁桃腺の腫れ方がおかしい。念のため総合病院で病理検査を」と言われた。まさか20代でがんは無いだろうと思った。しかし病理検査の結果は血液のがん「悪性リンパ腫」。頭が真っ白になった。

あまの・しんすけ 1973年生まれ。慶大商卒。悪性リンパ腫の治療と再発を経て、患者会「グループ・ネクサス・ジャパン」を通じ、がん患者支援活動に取り組む。全国がん患者団体連合会理事長として患者の立場で国や自治体の審議会委員なども務める。

あまの・しんすけ 1973年生まれ。慶大商卒。悪性リンパ腫の治療と再発を経て、患者会「グループ・ネクサス・ジャパン」を通じ、がん患者支援活動に取り組む。全国がん患者団体連合会理事長として患者の立場で国や自治体の審議会委員なども務める。

紹介先の大学病院の血液内科で「5年生存率は50%」と説明を受けた。心配した同世代の友人たちが見舞いに来てくれたが、若くて将来に希望のある「あちら側」と、死を意識している「こちら側」との心の境界を感じた。入院病棟で知り合った同世代の血液がんの患者仲間が支えとなった。

初回治療は十分に奏功せず、大量化学療法を併用した自家末梢血幹細胞移植も受けた。だが1年後に再発。治療法は限られ、5年生存率は10~20%と告げられた。死が迫るのを感じた。胸部への放射線治療後に国内で当時は保険適応外の薬を投与する外来治療も受けた。仕事中に呼吸がどんどん苦しくなり、倒れて救急搬送された。副作用による間質性肺炎であった。

ステロイド剤を大量に投与して肺炎はおさまったが、左目に感染症を発症。免疫力が低下していたため急速に進行し、左目の視力を失った。その後、再度の再発。骨髄移植を勧められた。ダメージの回復していない身体に強力な治療は厳しいと感じて、セカンドオピニオンを受けると「あなたの場合はリスクが極めて高い」と説明を受けた。

移植をしなければ必ず再発する、と主治医は言ったが、治療で死ぬか、病気で死ぬかを考えた場合、病気で死ぬほうが人間的であるように思えた。主治医の反対を押し切り、治療をやめた。幸い、その後は病気が進行することはなかった。

自分はたまたま生還することができた。しかし亡くなった同世代の血液がん患者仲間も多かった。彼ら彼女らがもし生き永らえたら、何をするだろうかと考えた。自分の経験を生かすために、何かできないかと考え始めた。

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