消える集落、避難解除も住民戻らず 九州北部豪雨3年

2020/7/2 18:00
保存
共有
印刷
その他

42人の死者・行方不明者を出した九州北部豪雨から5日で丸3年。福岡県朝倉市の被災集落が消滅の危機に直面している。今春、二次災害の危険がある「長期避難世帯」の認定が一部の集落で解除されたが、災害への不安から戻らないことを決めた住民が多い。豪雨に引き裂かれた住民は「つながりは絶やしたくない」と訴える。

「見る影もない」。6月下旬の朝倉市杷木松末の石詰集落。復旧工事に伴いコンクリートで固められた乙石川のほとりで、区長の井手義信さん(59)は寂しそうに語った。

かつて自宅があった場所だが、3年前の7月5日夜、豪雨で川が氾濫し家は濁流に飲み込まれて全壊した。その後は更地となり、家族4人は災害後、隣町のアパートで暮らす。

多くの家が流され、5人が犠牲になった石詰集落は2018年10月、二次災害の恐れがあるため被災者生活再建支援法に基づく「長期避難世帯」に認定された。支援金が手厚くなる一方で、解除されるまで住めない。石詰の16世帯を含め、朝倉市の計6集落91世帯が対象になった。

豪雨から3年を前にした今年4月、石詰を含む4集落64世帯の認定が解除され、再び住めるようになった。だが、井手さんは20キロほど離れた市中心部に中古住宅を購入し、故郷には戻らないと決めた。

還暦を控え「病院やスーパーが遠く、将来暮らしていけるのか」と老後の生活への不安が大きかった。ホタルが生息し、豊かな自然に囲まれた故郷は「豪雨でズタズタになり、昔の雰囲気がなくなってしまった」。生まれてから50年以上過ごした古里を見つめ「災害がなかったら暮らし続けたと思う」とつぶやいた。

朝倉市によると、長期避難認定が解除された4集落64世帯のうち、井手さんのように別の土地で自宅を再建した世帯は40世帯に上る。6月末時点で戻ったのは1世帯のみ。戻る予定があるのも4世帯にとどまる。市の担当者は「被害が大きかった地域で、帰りたくても不安があるのだろう」と話す。

他の被災地でも長期避難の解除後に住民が戻らないケースが目立つ。熊本県南阿蘇村の立野地区は16年の熊本地震で甚大な被害を受け、360世帯(880人)が長期避難世帯に認定された。17年10月に解除されたが、戻ったのは5割強の200世帯にとどまる。

石詰集落に戻るべきか悩み続けている住民もいる。朝倉市内のアパートで暮らす小嶋喜治さん(64)は「復旧工事が進んで安全に暮らせるようになれば戻ることも考える」。週末は自宅に戻り、湿気がこもらないよう換気し、壊れた部分も修理が終わり、いつでも住めるようにしている。ただ「工事がいつ終わるのか先が見えない」と小嶋さんは顔を曇らせる。

石詰では毎年12月、集落を見下ろす場所にある神社にしめ縄を飾る行事を先祖代々続けてきた。住民が全員参加して無病息災などを願ってきたが、集落がなくなれば伝統も途絶えてしまう。

「とどまる人のことは気がかりですね」と井手さん。毎年夏に各世帯が一家総出で参加する「三世代の集い」を開くなど他の集落がうらやむほど住民の仲が良かった。「これからも年1回はどこかで集まって食事をしながら語らおうと話している。今後も関係は持ち続けたい」と願った。

■被災集落、過去にも消滅 東日本大震災では27集落
 過疎地域の集落はこれまでも津波や大雨などの災害によって消滅の危機にさらされてきた。
2018年7月の西日本豪雨では、島根県川本町の川沿いにある「八面(やつめん)住宅」が消滅した。9世帯21人が暮らしていたが、豪雨で7世帯が全壊し、そのまま全世帯が町営住宅などに移転を決めた。同町によると跡地は現在更地になっている。
 国土交通省などが調べたところ、15年4月時点で5年前と比べて「消滅」した全国174集落のうち27集落が、11年の東日本大震災の津波被災地にあった。
 関西大の山崎栄一教授(災害法制)は「過疎化が進んでいる集落では、全国どこでも災害を機に同じ問題が起こる可能性がある」と指摘。「病院が近いなど避難先で便利な生活に慣れると、元に戻るのがつらく感じてしまうこともある。住民が戻って安心して暮らせるよう、買い物の支援など生活支援の充実が行政には求められる」と話している。

文 朝比奈宏、山田薫

映像 澤井慎也

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]