迫る「失業率2割」の足音 世界で格差再生産

日経ビジネス
2020/7/6 2:00
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昼食後に園児を寝かしつける保育士(写真はイメージ)

昼食後に園児を寝かしつける保育士(写真はイメージ)

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東京都内の保育園で保育士として働いている山下明代さん(仮名)は、園長からその話を聞かされたとき、耳を疑ったという。4月末のことだ。

園長 「休園中に山下さんが休んだ日の給与は出るかどうか分かりません」

山下さん 「えっ、そんな…。なぜそうなるのですか」

山下さんの保育園は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて4月7日に国が緊急事態宣言を出した直後の同9日から、宣言が解除された5月末まで休園した。その間は警察官など生活を支える人達の子供だけを預かり、保育士の一部が交代で勤務することになった。そのため保育士は週に2日程度の出勤となり、その他の日は休みになった。この休日分の給与が出ないかもしれないと言い渡されたのだ。

山下さんは派遣会社に登録して、この保育園で働いている。立場は弱い上に突然の給与削減話に動揺した。給与を減らされれば、生活にも影響するからだ。

その後、山下さんは働く人の支援団体、総合サポートユニオンに相談して保育園を経営する社会福祉法人と交渉を始めた。この社会福祉法人は、当初労働基準法で定められた本来の給与の6割を支給するとしたが、「思い違いがあった」として結局最終的には全額になったという。ただ、今度は派遣の契約更新を止める申し出をされ、厳しい局面に立たされている。

■世界の就労時間は14%減

新型コロナは世界で雇用を直撃している。国際労働機関(ILO)は6月30日、世界の4~6月期の就労時間が2019年10~12月期に比べ14%減ったと発表した。5月下旬の予測(10.7%減)よりも減少幅が広がった。

外出制限などロックダウン(都市封鎖)が長期化し、自宅待機などを強いられた労働者は多い。日本でも緊急事態宣言の中で、外食やホテル、小売りなど多くの業種で休業が長期にわたって続いた。収入を絶たれた企業が経営不振に陥り、破綻するケースが急増。東京商工リサーチの調べによると、感染が本格化した20年3月から6月29日までで計286件(負債額1000万円以上)にも上った。

破綻に至らないまでも、派遣などの雇い止めや解雇などが増えている。国内の5月の完全失業率(季節調整値)は2.9%と前月比0.3ポイント悪化し、完全失業者数は197万人と同19万人増えた。クレディ・アグリコル証券の森田京平・チーフエコノミストの推計では、失業率は20年4~6月期には3.5%に急伸する可能性があるという。「外食やホテル、小売りなどサービス産業はもともと、女性の非正規労働者が多く、雇い止めなどで生活が脅かされる結果になった」(大沢真知子・日本女子大教授)。5月の非正規労働の雇用者数は前年同月比61万人減った。冒頭のようなケースが広がっていることが想像される。

深刻な人手不足に悩んできた日本ですら始まった雇用の調整。世界に目を向けると、欧米はさらに深刻な状況だ。米国の失業率は今年4月にそれまでの4%前後から14.7%に跳ね上がり、5月も13.3%だ。

ただ、本当に厳しくなるのはむしろこれからだろう。米国では「新型コロナの影響で就業意欲をなくし求職活動をしていない人」や「常用雇用を希望しながらパートなどで働く人」が急増している。これらの人達は、失業者には算入されないが、常用雇用の外側にいる。森田氏はこうした人達を含めて考えた20年5月の「失業率」は21.2%に達すると試算する。水準は大きく違うが、状況は日本も似ている。休業者数は同4月、597万人に達し、そのうち約7%が5月に職を失い、同月の休業者数はなお423万人に上っている。

■日本の就業者は300万人減る

それでも、欧米の失業率の上昇が5月以降抑えられているのは、ワークシェアリングを広範に実施したり、各国政府が企業に賃金の一部を実質補填したりしているためと見られる。例えばユーロ圏では4月の失業率が7.3%に達したが、欧州労働組合研究所によると同月、EU(欧州連合)で約4000万人がワークシェアリングを始めたという。米国も、5月半ばまでにリーマン・ショック翌年の09年の3.5倍に相当する100万件が取り組んだ。ただ、新型コロナの感染拡大が収束しなければ、やはり解雇増大の恐れはある。

政府による賃金補填も、欧州でイタリアが2月23日以降、企業に解雇・免職手続きを停止させた上で、賃金の80%を補填する制度を導入するなど、多くの国が大規模に実施した。しかし、これも膨大な財政支出を伴うために、持続性に限度がある。OECDは、それを踏まえ20年10~12月期には欧州でも失業率が再上昇に転じると予測する。最悪のシナリオの場合、英国では約15%、スペインは25%を超えるという。

日本も人ごとではない。前出の森田氏の予測では「同10~12月期には失業率は5%台に急伸する可能性があり、就業者数は約300万人減少する恐れすらある」という。

世界を覆う雇用不安は、次に何をもたらすのか。

08年秋のリーマン・ショック後に起きたことの1つは、今回同様の強烈な雇用の縮小だった。90年代末から、それまでに比べると失業率の高かった日本を除き、欧米で失業率が急上昇した。米国は約5%から09年秋には10%に達し、リーマン前に戻るには7年程度かかっている。欧州もドイツを除くと失業率が元に戻るのに英国で8年程度かかり、フランスは今も戻していない。

これに並行して、賃金上昇率もドイツを除いてリーマン前になかなか戻らなかった。20年初めまで約10年に及ぶ景気拡大を続けた米国でさえも、パートタイム、フルタイム労働者とも17年ごろまでリーマン前の上昇率には達しなかった。欧州も債務危機の影響を受けた12年を除き、景気拡大が続いたが、賃金上昇率の戻りは鈍かった。日本を見れば、その賃金停滞はさらに長い。雇用者1人当たりの実質給与総額は、90年を100としてみると96年の104.2をピークに下落を始め、20年(1~3月期)は92.7にまで落ちている。特にリーマン後にその下げ方を速めている。

■中堅所得層がしぼんでいく日本

世界景気は既に低成長が続いている。G7(主要7カ国)の実質GDP成長率は、リーマン後、それまでの年率3%前後からほぼ2%未満に低下した。80年代には同3~5%の間を動いていたから、成長の力は弱っていったのだ。

ここまで見ると、経済ショックは経済の成長力を小さくし、雇用増を抑え、賃金抑制をもたらすかのように映る。それはコロナ禍の後、さらに深刻化するのか。

その可能性もまた否定できない。13年11月に開かれたIMF(国際通貨基金)の経済フォーラム。元米財務長官でもあるローレンス・サマーズ米ハーバード大学教授は、いつもの厳しい表情で先進国の長期的な低成長の原因を2つの点から指摘した。「(個人が所得のうち、貯蓄に回す部分の比率である)貯蓄性向が上昇し、一方で民間の投資が不足しているところに要因がある」と。つまり人々が貯蓄に走り、企業は投資をしなくなったことが長期低成長の原因と指摘したのだ。

その根底にあるのは、高齢化で自らの老後のために資産を残そうとする人が増えたこと。そして世界で進む所得と富の分配の不平等による格差拡大だと言う。コロナ禍はこのうち、格差拡大をさらに進めそうだ。

所得格差を示す代表的なデータであるジニ係数は、米国では90年から18年までほぼ一貫して上昇。米国の所得順位上位5%までの個人の所得が全体に占める比率は、19%から23%へ拡大し、一部の高額所得者への富の集中はやむことなく進んだ。

欧州も同様だ。格差拡大や移民に職を奪われる不安などから16年に国民投票でEU離脱を選択した英国や、域内では比較的均質な社会を保っているとされたドイツもジニ係数は上昇した。

日本も動きは同じだ。ジニ係数はもともと所得のばらつきが大きい高齢者が増えると上がりやすくなる傾向があるが、日本の場合は現役世代が中心の1人当たり実質賃金(現金給与総額)も90年代半ばから右肩下がりを続けている。これもあって所得総額に占める年収300万円超から1000万円以下の中堅層の比率は、97年の62.1%から18年には58%へ減少。同300万円以下の低所得者層は、32.1%から37%に増えた。一方、同1500万円超の高所得者層は横ばいだった。

リーマン後は、中堅層の比率が09年に大きく下げ、その後は少し持ち直したものの、長期的には中堅層が崩れる格好で所得分布の下方移動による格差拡大が起きていた。コロナ禍はその流れに失業者急増という一撃を加え、格差を再生産しようとしている。

(日経ビジネス編集委員 田村賢司)

[日経ビジネス電子版 2020年7月2日の記事を再構成]

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