彦根城 世界遺産、30年の悲願 江戸期統治の特徴示す
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関西タイムライン
2020/7/2 2:01
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「彦根城を見れば江戸時代が分かる」。国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産登録に向けて、滋賀県と同県彦根市が準備を進めている。200年以上にわたる統治機構を体感できるとアピールし、2024年の登録を目指す。暫定リストに載った1992年から「候補」に甘んじること30年近く。悲願はかなうのか。

彦根城は江戸初期の1604年、徳川幕府の譜代大名である井伊氏の居城として築城が始まった。天守は大津城の部材を転用した。江戸時代から残る「現存12天守」のひとつで、国宝の指定も受けている。

■姫路城「登録の壁」

登録の壁となったのは、近世城郭として日本初の世界遺産になった姫路城(兵庫県姫路市)の存在だ。彦根城が登録されるには、建築物として評価される姫路城と異なる価値を証明する必要がある。

彦根市の彦根城世界遺産登録推進室の小林隆主幹は「国内のほかの城郭と比較した結果、彦根城は天守や御殿などの建物、遺構が最も状態よく保存されていることが分かった」と話す。江戸時代の統治機構の特徴を示す資産として新しい価値を探ろうと決めた。

江戸時代の政治は幕府の方針に従って、各地の城を政庁として組織的に進められた。中央政府である幕府と地方政府の藩がそれぞれ自律的に統治する「統一された分権体制」といえる。

同時期の世界の統治機構は絶対王制期のフランスに代表される中央集権と、中国の清のような複合国家に二分されていた。両者の中間的な性格の幕藩体制は独自性が高く、近代へのスムーズな移行を可能にしたとされる。

彦根城の築城時期は関ケ原の戦いから豊臣氏の滅亡までの「慶長の築城ラッシュ」と呼ばれる15年間にあたる。徳川氏が大坂城包囲網のひとつとして諸国の大名を動員した「天下普請」だった。正門である大手門は大坂方面を向いてつくられたものの、のちに参勤交代で便利なよう、江戸を向いた佐和口の表門が実質的な大手になった。

「彦根城は戦国期の築城技術の到達点」。全国の城郭に詳しい滋賀県立大学の中井均教授は軍事的側面を評価する。内堀の内側はほぼ垂直に立つ高さ4~18メートルのがけがぐるりと囲み、容易に登れない。斜面での横移動を防ぐため、スカートのひだのような登り石垣が5本もつくられている。「徳川氏と豊臣氏の最終決戦を控えたピリピリとした緊張感が伝わってくる」(中井教授)という。

■まちづくり起点に

滋賀県と彦根市は3月、推薦書原案を文化庁に提出した。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大の影響から、原案に対する評価は示されないことになった。滋賀県の彦根城世界遺産登録推進室の細川修平室長補佐は「課題について情報を収集し、予定通り有識者を交えた原案の練り直しを進める」と話す。保存管理計画を21年に提出。まずは22年に国内推薦を勝ち取るスケジュールを描く。

城の北側にある庭園、玄宮園からは天守が見える。殿様が独占していた江戸時代と同じ眺めという。「世界遺産への登録は観光客を集めることが目的ではない。城を中心にしたまちづくりの象徴になる」(彦根市の小林主幹)。市内の主要な場所からも天守が見えるよう、建物の高さを規制している。

ユネスコの諮問機関で、世界遺産登録の可否を答申する国際記念物遺跡会議(イコモス)の国内委員を務める京都府立大学の宗田好史教授は「コロナ後の世界では地方分権が見直されるだろう。彦根市のまちづくりは明治維新から続く中央集権を見直し、今後の日本のあり方を示すモデルになる可能性がある」と指摘する。(木下修臣)

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