石敷き欠落「槻の木」跡か 大化の改新、出会いの場

2020/6/29 19:20
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大化の改新(7世紀)の前に中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻(つき、ケヤキ)の木の広場」があったとされる飛鳥寺西方遺跡(奈良県明日香村)の発掘を継続してきた村教育委員会は、広場に施された石敷きの欠落部分に「槻の木」があった可能性があるとの見解をまとめ、このほど刊行した発掘報告書に掲載した。

「槻の木の広場」があったとされる飛鳥寺西方遺跡(2013年、奈良県明日香村、同村教育委員会提供)=共同

日本書紀によると、広場には槻の木があり、その下で蹴鞠(けまり)中に皇子と鎌足が出会ったとされ、翌年に蘇我氏が滅ぼされた乙巳(いっし)の変(645年)が起きた。

遺跡は飛鳥寺の西側にあり、南北200メートル、東西140メートル。一部でこぶし大から直径約20センチの石が敷き詰められている。

報告書によると、2012年度に発掘された南北約24メートル、東西約15メートルの区域のうち、約6~7メートルにわたって石敷きがない箇所を確認。木の根などは見つからなかったが、日本書紀の「槻の木は飛鳥寺の西側にある」という記述と一致することから、木が生えていた跡と考えることができるとしている。

また、近くで直径約3.6メートルの井戸跡を確認。日本の神話などで、聖なる木のそばには対となる井戸があるとの記述があり、井戸近くの石敷きの欠落部に木があった可能性を後押しするという。

調査に関わった同村文化財課の長谷川透主任技師は「石敷きが抜けている部分の形は木の根の跡のようにも見える」と話し、木があった場所として有力とみている。

槻の木の広場では、使節を招いた供宴を催したり、壬申の乱(672年)では大友皇子側の軍営が置かれたりしたなどとも記されている。

〔共同〕

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