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コロナでも売れた1本スピーカー 包み込む響きの引力

エムズシステム社長 三浦光仁氏(上)

エムズシステムの三浦光仁社長は15年をかけてファンを増やしてきた

消費が凍り付いたコロナ・ショック下でも販売台数を伸ばしたスピーカーがある。円筒形の1本だけで、やわらかい音を鳴らす、エムズシステムのスピーカーだ。三浦光仁社長は「家ごもりを強いられた結果、穏やかな音の価値が見直された」とみる。高級ホテルの帝国ホテル(東京・日比谷)や日本料理の「銀座 吉兆」(東京・銀座)などが導入している「人を包み込む音」は、静かに共感の音色を広げつつある。

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スピーカーの「常識」に反する商品だ。左右の2本で立体的なステレオサウンドを組み立てるというのが従来のホームスピーカーの王道。聞く人は三角形の頂点ポジションに陣取る。さらに臨場感を高めるシステムとしてサラウンドや5.1チャンネルが用意されてきた。しかし、エムズのスピーカーは1本。「基本的な発想が一般的なスピーカーとは異なる」と、三浦氏は立ち位置の違いを示す。

サイズは主力商品の「MS1001」シリーズでも直径21cm×全長40cmどまりで、大型のフロア置きスピーカーよりずっと小ぶりだ。でも、「吉兆 銀座」のゆったりしたフロアでもこのタイプでしっかり音が届いている。マンションのリビングルームを模した視聴室では物陰でも聞き取れる。「スピーカーの本数とか、1台の寸法とかを根拠に、音のクオリティーを論じるのはあまり意味がない」と、三浦氏は「スペック競争」に興味を示さない。

さぞや複雑な内部機構になっていて、特許を得ているのかと思えば、「特許は取っていない」という。理由を尋ねると、「開発者の意向だから」。三浦氏はエムズのスピーカーを世に広める立場であり、開発者ではない。開発者は名前を伏せているという。

そもそもこのスピーカーは開発者が自ら考案して、試作機を三浦氏に聞かせたのが始まりだ。音に惚れ込んだ三浦氏が商品化を認められて今に至る。特許申請が議論されたこともあったが、開発者は「自分に作れたのだから、誰かができるかもしれない」と、権利をしばらないことを望んだそうだ。

2000年に創業したエムズは20周年を迎えた。最初のスピーカーを発売したのは03年。以来、世界中のメーカーが秘かにエムズの商品を買い込んでは研究したようだが、「今なお類似の商品は現れていない。従来の音響工学が体に染みついていると、理解が難しいかもしれない」と、三浦氏は技術のコピーを恐れるふうでもない。

エムズ製スピーカーのサウンド面での持ち味はソフトな響きにある。音色が騒がしくなく、押しつけがましい感じもない。三浦氏の表現を借りれば「居心地のよい音」。ホテル・旅館やレストラン、ヘアサロンなどで導入されていることからも、場の雰囲気を乱さない音質がうかがえる。

一般的なステレオスピーカーと聞き比べると、違いが際立つ。最大の違いは、聞く人の居場所を限定しない点だ。ステレオの場合、三角形の頂点にあたるポジションからはずれてしまうと、音像がぼやけやすい。強みとされる立体感が損なわれてしまうのだ。一方、エムズの場合、聞き手がどこに居ても、音像はあまり変わらない。十分な立体感を伴って聞こえる。つまり、聞く人の居場所や過ごし方を固定しない。

なぜ1本なのに、立体的に聞こえるのかを尋ねると、「そもそもステレオ神話には思い込みの要素が大きい」という。「人間の耳は顔の両側にあるから、スピーカーも2本がいいはず」といった、わかりやすいイメージが広まって、多様なアイデアが育たなかったと、三浦氏はみる。ボーカルも楽器演奏も本来は1点から音が生じているのだから、再生装置も1点で構わないはずといった、フラットな思想は「スペック至上主義の陰に隠れてしまった」(三浦氏)

百貨店の紳士服バイヤーから畑違いの起業

三浦氏が音響工学の足かせを逃れて、新発想のスピーカーを素直に受け入れられたのは、畑違いの出身だったことも大きいだろう。もともとは百貨店の伊勢丹(現在の三越伊勢丹)で紳士服のバイヤーを務めていた。上智大学を卒業後、1980年に伊勢丹へ。紳士服畑を歩み、87年から約6年間はパリに駐在した。19年にわたるキャリアは主にメンズファッション関係で、音響には何の縁もなかった。

99年に退社し、アマゾンの森と先住民を守るNGO(非政府組織)に参画した。そこでの環境保護活動をへて翌2000年に経営コンサルティング会社として創業したのがエムズだ。「退職金を使い果たし、家も売って、『そろそろ働かなきゃ』と思って、コンサルを立ち上げた。物を仕入れる資金がなかったので、どうにか知恵を商材に食いつなごうと、コンサルを選んだ。当時はスピーカーを作って売るなんて、思ってもみなかった」と振り返る。

エムズのスピーカーは1本の円筒形が基本スタイルだ

スピーカーとの出会いは「天から降ってきたような偶然」だった。たまたま知り合った開発者が三浦氏の事務所に「気に入ってくれたのなら、置いていく」と預けた試作機が始まり。コンサルの顧客が事務所を訪れると、口をそろえて「いいスピーカーですね。さすが4チャンネル(4本のスピーカーを使う音響システム)」とほめて帰った。オフィスに置いてあった4本のスピーカーを見ての言葉だ。

彼らは以前から置いてあった別ブランドのスピーカーが鳴っていると思い込んでいたが、実は1本の試作機から音が出ていた。種明かしをされた顧客からは「売ってほしい」という頼みが相次いだ。とうとう10件に達したのを機に、「私に売らせてもらえないか」と、開発者に申し入れた。本腰を入れることになり、03年には総合音響メーカーへ看板を掛け替えた。

コロナ禍の最中でも売れ行きが伸びた理由を、三浦氏は「音楽との向き合い方が変わったのではないか」と読む。家ごもり状態が続き、必然的に音楽を聞く時間も増えた。フラストレーションがたまりがちな環境だったこともあり、「リラックスできるやさしい音が求められた。包容力や温かみを感じさせる、エムズならではの音質が支持された」(三浦氏)。実際、月間の出荷台数は前年を超える300台程度に達し、注文が落ち込むのではという予想をプラスに裏切った。

パソコンへの不満も需要を後押ししたという。パソコンには大抵、スピーカーが内蔵されているが、音楽を聞くうえでは「力不足のケースが珍しくない」(三浦氏)。もともとパソコン内蔵スピーカーは操作に伴う警告音を鳴らすために組み込まれていて、「音楽を聞くのに十分な再生能力を期待されていなかった」。近年は音質を重視したモデルも登場しているが、やはりサイズとコストの兼ね合いから、専用スピーカーには見劣る機種が多い。

しかし、家ごもりが広がって、自宅のパソコンを仕事で使うようになると、目の前のパソコンで音楽を聞きたいと考える人も増えたようだ。スマートフォンを音源に選ぶ人も増えてきた。「近ごろはスマホやパソコンからの再生に関する問い合わせが増える傾向にある」という。エムズのスピーカーには、 ヘッドホン・イヤホン端子につなぐだけで鳴らせるスピーカーも用意されている。「オンライン会議で声が聞き取りにくいといった不満の解消にも役立つ」という。

家ごもりが求めた「音にくるまれる心地よさ」

「日本で最も予約が取りにくい宿」ともいわれる旅館「箱根吟遊」(神奈川県箱根町)にもエムズのスピーカーが置かれている。東京・有楽町の「ザ・ゲートホテル東京」は164の客室をはじめ、ロビーやレストランを含む全館に導入。「空気のように音を環境として整えるという『音のエアコンディショニング』という考え方を取り入れてもらった」(三浦氏)。採用された理由は「雰囲気を壊さない安らいだ響き、くつろぎや語らいを邪魔しないサウンドが評価された」という。

一般的なスピーカーが発する音は、一種の衝撃を伴っていて、まっすぐ人体に突き刺さるような指向性を帯びている。実際、大音量を鳴らしているスピーカーの前に立つと、胃袋が揺さぶられるかのようなインパクトを感じる。ハードロックの重低音サウンドに酔いしれるには悪くない性質だが、部屋でずっと流しておく場合、「指向性の強い音は聞く人をくたびれさせやすい」(三浦氏)という。

指向性という言葉が示す通り、方向が決まっているせいで、聞き手の居場所が限られるのも、このタイプのスピーカーの欠点とされる。方向がずれると、途端に聞こえづらくなりがちだ。自宅で鳴らす場合、リビングルーム中央のベストポジションに座っている人は快適に聞こえても、キッチンで調理中の人にはよく聞こえないという現象が起こり得る。

不満に感じて、キッチンの人が音量を上げると、ベストポジションの人にはうるさく感じられる。ベストの場所が固定されているから、別のポジションでは満足感を得にくい。「昔から購入前に試聴室で聞いたときは感激したのに、自宅に設置したら、格段に聞こえ具合が悪く、不満を感じるというケースは多かった。本当のクオリティーを引き出すには、機材や配置などに細かい配慮が必要で、個人ではなかなか実現が難しい」(三浦氏)。つまり、扱いが難しいわけだ。

しかし、エムズのスピーカーは指向性がほとんどない設計だから、どの位置からもほぼ同じように聞こえる。リビングルームとキッチンを備えた試聴室を歩き回りながら聞いても、場所ごとの聞こえ具合にあまり差がないと感じる。「部屋の中で音楽をシェアしやすいから、家族の会話も弾む」と、三浦氏は家庭内コミュニケーションの面でも効果を期待する。

「指向性の強い音は刺激として感じられる。激しい刺激を味わうには従来のスピーカーでも構わないだろうが、穏やかな気分で過ごしたいときには指向性のないスピーカーのほうが心地よく聞こえる」と、三浦氏は違いを説明する。

実際にエムズのスピーカーで聞いてみると、どこから音が出ているのか、見回して探してしまうような感覚に、最初は戸惑いすら覚える。音に包まれるとか、音が降ってくるという感じだ。でも、次第に耳当たりのやさしいサウンドを快適に感じ始める。鼓膜に刺さってこない音に、気持ちがほぐれていく。音楽療法に取り組んでいた聖路加病院の日野原重明名誉院長も自宅用に購入したそうだ。

サントリーホールで開いた「演奏家のいない演奏会」

20年かけて導入事例を増やし、個人のファンを獲得してきたエムズだが、従来の「ステレオ神話」になじまないこともあって、最初は猛烈な反論や批判を浴びた。理屈で戦うより、実際に聞いてもらうのが近道と考えた三浦氏は実機を披露する機会を増やしていった。象徴的な試みが「演奏家のいない演奏会」。楽器の演奏者を呼ばず、スピーカーだけで楽曲を再生する催しだ。クラシックの殿堂、サントリーホールをはじめ、大小様々な規模で開催を続け、既に400回を超えた。

耳で感じた驚きは興味につながり、スピーカーの販売台数も増えていった。実質的な1年目にあたる2004年は年間で10台が売れたが、15年後の19年には年間で2000台を超えた。200倍の伸びを支えたのは、「とにかくいっぺん聞いてみてください」と語りかけ続けた地道な口コミにあった。

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