余暇にスポーツ 普及の礎 居留地発祥のクラブ150年
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関西タイムライン
2020/6/25 2:01
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開港後間もない神戸の外国人居留地で産声を上げた「神戸リガッタ・アンド・アスレチック倶楽部(KR&AC)」が今年9月、創立150年を迎える。現在の神戸市役所、東遊園地を含む広大な芝生のグラウンドでクリケット、サッカー、ラグビー、陸上競技などに励み、ボートや水泳にも情熱を傾けたKR&ACは、今でいう総合型地域スポーツクラブの先駆けだった。

JR三ノ宮駅から南に数分歩き神戸市役所へ。その南側にある東遊園地では、芝生の広場で子どもたちが楽しそうに遊ぶ。南西の一角にKR&ACの創設者の一人、アレキサンダー・キャメロン・シム(1840~1900年)の顕彰碑がたたずむ。当時のグラウンドの南端で、クラブハウスもこの近くに建てられた。

KR&ACは1870年9月23日、シムらを中心に会員43人で発足した。シムはスコットランド出身。神戸では薬品などを扱う商館を営み、ラムネの製造・販売も手掛けた。KR&ACの「100年史」の翻訳を監修した神戸外国人居留地研究会の事務局長、高木応光さんは「シムは優秀なスポーツマンだった」と語る。ボート、競走、ハンマー投げなどが得意で、横浜など他の居留地のクラブとの対抗戦でも先頭に立った。

シムに限らず、居留地で暮らす外国人は本国で慣れ親しんだ娯楽、スポーツを楽しめる場を必要としていた。クラブハウスにはジム、体育館のほかバーなども併設。音楽、演劇、ダンスなどで利用する市民ホール的な機能も果たした。高木さんは「スポーツだけでなく、ビジネスの情報交換、社交の場としての役割もあった」と解説する。

大正から昭和初期には約800人の会員がいたとされ、東遊園地のグラウンドで行われる各種競技は、周辺の市民の目にも触れた。

会員の家族らが参加する運動会では、徒競走などのほか、麻袋に入って跳ぶサックレースなどの珍しい競技も。神戸市立博物館の元学芸員、田井玲子さんは「当時の写真を見ると、かなり多くの日本人が見物していたようだ」と語る。

明治期に日本に入ってきたスポーツの普及に果たした役割も大きい。関西では1910年、京都の旧制三高(現京都大)が慶応義塾の学生の手ほどきで初めてラグビーに触れた。三高は慶応を目標に練習し、神戸でKR&ACの胸を借りた。「当時はビデオもなく、実際にプレーを見て、対戦することで技術を磨くのが一番だった」と高木さん。

収穫は技術の習得だけではない。試合後、クラブハウスで開かれるアフターミーティングでは、紅茶とケーキ、洋食やビールが供され、メンバーと懇談した。高木さんは「ノーサイドの精神を含め、多くのことを神戸で学んだ」と語る。

サッカーでも、御影師範(現神戸大)や神戸一中(現神戸高校)がKR&ACと交流して強くなった。御影師範は全国高校選手権の前身となった大会で17年の第1回から7連覇した。

余暇にスポーツを楽しむ文化を海外から持ち込んだKR&ACは、創立からの半世紀で大きな足跡を残したが、その後の100年は受難の多い時代だった。第2次大戦中は軍部に活動を制限され、会員数も減少。戦後も本拠地の移転を重ねることになった。

磯上公園(神戸市中央区)にある現在のクラブハウスに移ったのは62年。1階にレストラン、2階にバーを備え、3階に体育館。4面のテニスコートもある。

現在の会員は10カ国余の約80人。往時と比べると小規模ながら、今は日本人の加入制限もない。併設のテニスアカデミーには市民ら約120人が通い、レストラン、英語教室などは会員以外も利用できる。昨年就任した三木谷研一理事長は、楽天の三木谷浩史会長兼社長の実兄。副会長を務めるサッカーJ1神戸の育成年代の選手も施設を利用し、「目指すのはより地域に開かれたクラブ」(同理事長)という。(影井幹夫)

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