「戦争風化させぬ」遺族ら決意新た 沖縄戦終結75年

沖縄県は23日、太平洋戦争末期の地上戦で組織的な戦闘が終わったとされる「慰霊の日」を迎えた。新型コロナウイルス感染防止のため県主催の「沖縄全戦没者追悼式」は規模を縮小。安倍晋三首相らの招待も見送られた。それでも会場の平和祈念公園(糸満市摩文仁)では多くの人々が犠牲者を悼み、記憶の継承を誓った。
午前11時50分に始まった式典には、遺族代表や玉城デニー知事ら約160人が参列。正午に犠牲者に黙とうをささげた。例年は5千人規模で行われるが、この日は広島、長崎両市長らの招待も見送りとなった。会場には「他の人と十分な距離を取ってください」との看板が立てられ、参列者は検温後に会場入りした。

玉城氏は式典で、戦後75年たっても米軍基地が沖縄に集中し「県民生活に多大な影響を及ぼしている」と訴えた。安倍首相はビデオメッセージで「政府として基地負担の軽減に向け、一つ一つ確実に結果を出す」と話した。県立首里高3年の高良朱香音さん(17)は自作の平和の詩「あなたがあの時」を朗読した。
沖縄戦犠牲者らの名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」の前では時折、雷鳴混じりの雨が降る中、遺族らが碑に刻まれた犠牲者の名を指先でなで静かに手を合わせた。
那覇市の赤嶺清光さん(81)は沖縄戦で姉を失った。沖縄本島の北部で壕(ごう)に逃げる途中、米軍の艦砲射撃に遭った。当時6歳だった赤嶺さんは姉の頭に砲弾の破片が当たったのを鮮明に覚えている。別の場所で亡くなった父と姉の名が刻まれた礎の前で「平和な時代だからこそ、戦争の体験を伝えたい」と思いを新たにした。
那覇市の儀武徹明さん(78)は2歳の孫を含む家族9人で礎を訪れた。沖縄戦で親族を失い「孫に戦争で亡くなった先祖を知ってほしかった」。自身はパラオ生まれで父は南洋で戦死した。戦後75年がたち「体験者がどんどんいなくなる。戦争を風化させてはいけない」と語気を強めた。
「おかげさまで平和に暮らしています」。宜野湾市の60代女性は沖縄戦で死んだ姉に報告した。当時2歳の姉は銃弾が貫通し即死だった。生き残った母から「住民は逃げ回り、壕に行ったら日本軍に追い出された」と聞かされた。「犠牲になった人がいるから今の私がある。あんな悲しい出来事は二度とあってほしくない」と願った。
糸満市の「ひめゆりの塔」では、沖縄戦で旧日本軍に動員された「ひめゆり学徒隊」の慰霊祭が営まれた。教師13人を含む136人が犠牲になり、例年数百人が参列するが、新型コロナの影響で遺族への呼び掛けは見送った。
隣接する「ひめゆり平和祈念資料館」の関係者ら約20人が参列。戦時下の卒業式で歌おうと練習していた「別れの曲」や校歌を声を震わせながら歌った。元学徒で前館長の島袋淑子さん(92)は「亡くなった友達や先生の顔が浮かんできた。戦争がなければ、みんな元気に生きることができただろうに」と涙を拭った。

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