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新世界から大阪を元気に 高井隆光さん

関西のミカタ 通天閣観光社長

たかい・りゅうこう 1974年大阪府生まれ。奈良産業大(現奈良学園大)卒。97年マイカル(現イオンリテール)入社。大阪の店舗で婦人服などを担当。05年に通天閣観光に入社し、19年に社長に就任。全日本タワー協議会幹事も務める。

■大阪市浪速区の新世界は、串カツ店、射的場、映画館などが軒を連ね、昭和のムードが漂う繁華街。そのシンボルである通天閣は、初代が1912年、現在の2代目は56年に建設された。運営する通天閣観光の高井隆光社長(45)は、入社から15年間、関西以外からも人を呼び寄せようと奮闘してきた。

新世界生まれ新世界育ちと言うと、今ではかっこいいとかおしゃれとか言われる。だが、私が幼い頃はまだ新世界という街にはダーティーなイメージがあった。2代前の社長をしていた祖父が亡くなり、2005年6月に副社長として入社した。いずれは地元に対して何か貢献できればと思っていたが、引き継ぐのは遠い先だと思っていた。

通天閣を変えようと最初にした仕掛けがビリケンさん。今でこそ知名度もあるが、私の入社時は関西でしか知られていなかった。全国の人に知ってもらおうと、ビリケンさんを各地に出張させた。仰々しく飛行機の席を取ったり、リムジンに乗せたりした。

施設の改装では、展望台を大阪城の金の茶室のイメージに。下の階ではガンガン音楽を流している。クレームもあるが、クレームと印象は紙一重。観光は印象に残らないと記憶から薄れる。個性がとがった施設を目指している。

■新型コロナウイルスの影響は大きい。インバウンド(訪日外国人)の姿は消えたが、4月は緊急事態宣言の翌日まで営業を続け、5月11日からは大阪府内の感染状況を示す「赤」「黄」「緑」のライトアップに協力した。

休業直前は1日の入場者数が50人を切るなどしんどかったが、営業を停止した後も通天閣のライトアップは続けた。街がシャッター通りになって沈んでいる中で、明日への希望の光であってほしいという思いがあったからだ。

金の茶室をイメージした展望台にいるビリケンさん(高井氏提供)

新世界と通天閣は一心同体だ。通天閣という「点」ではなく、新世界という「面」を意識して街の発展に貢献しようと考えてきた。近年は海外からの観光客も増え、自分の中にさらに大阪という「面」への意識が強くなった。

大阪府の吉村洋文知事が5月5日に「大阪モデル」のライトアップを通天閣でもすると発言した。事前の連絡はなく、寝耳に水。でも市民の方たちが感染予防に努めるきっかけになればと協力した。

実は不安もあった。本当に緑になるのかと。地域の人には「赤になったときに責任をとれるのか」と叱られた。初めて緑が点灯した5月14日、外で様子を見ていたら、横のおばちゃんが泣いていた。府民みんなで達成した思い出深い緑のライトアップだった。

■緊急事態宣言が解除され、通天閣も5月30日から営業を再開した。観光地は内向きにならず、情報発信を続けることが重要だと訴える。

街は落ち着きを取り戻し、人出も増えた。だが周辺では閉店した飲食店もあり、以前の新世界の輝きには遠い。インバウンドの復活も早くて1年と時間がかかるだろう。

まずは国内の人に来てもらいたい。今はSNS(交流サイト)で手軽に情報発信ができる。いつかは終息するのだから、人が戻ってくるタイミングを逃さぬよう、自粛することなく情報を出したい。ビリケンさんとのエアータッチなども、面白おかしく取り上げてもらえた。そこに込めた意味は、感染防止対策もバランスをとってしっかりと。ランドマークで赤や黄色がつくのはまずい。そこは通天閣が先頭に立って発信したい。

大阪は人情味にあふれ、本当に面白い街。なかでも新世界は観光地と下町の暮らしが混然とし、なんばや梅田とは違う、良い意味でのディープな大阪がある。それを世界中に発信したい。通天閣が元気でないと大阪も元気にならない、という気概で、25年の万博に向けて盛り上げていきたい。(聞き手は船津龍樹)

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