本郷(東京・文京)「アイヌ神謡集」誕生の地

ひと・まち探訪
コラム(社会・くらし)
2020/7/4 13:50
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東京大のキャンパスがある東京都文京区の本郷周辺は明治以降、多くの学者や作家が集まり、優れた作品が生まれた。生活の拠点でもあり、区によると、言語学者の金田一京助は東京帝国大(現東大)に入学した1904年(明治37年)から26年まで本郷を7カ所移り住んだ。現在の本郷4丁目には、金田一と国語学者で長男の春彦の旧居跡の表示板があるが、金田一の支援を受けて本郷で強烈なインパクトを放つ作品を残した少女がいたことはあまり知られていない。

金田一京助の旧居跡周辺。今も歴史を感じさせる木造建築が残る。

金田一京助の旧居跡周辺。今も歴史を感じさせる木造建築が残る。

北海道登別市の出身で、アイヌ民族の知里幸恵だ。文字を持たないアイヌに伝わる口承叙事詩をローマ字と和訳で記録した「アイヌ神謡集」の著者として知られる。研究で北海道を訪れた金田一に語学の才能を見いだされ、22年5月に上京。金田一の自宅に身を寄せながら原稿の校正を続け、神謡集を完成させた同年9月18日、持病の心臓病が悪化して亡くなった。19歳だった。

「銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに」の書き出しで始まる神謡集には13編が収められ、平易かつ洗練された日本語でカムイユカラ(神謡)がつづられている。幸恵が刊行作業を進めた当時の金田一の自宅跡を訪ねると、隣接する土地には「日本福音ルーテル本郷教会」が立ち、正面に「知里幸恵 召天の地」と記されたパネルがあった。熱心なキリスト教徒でもあった幸恵との不思議な縁を大切にし、2010年から毎年、命日に幸恵をしのぶ「シロカニペ祭」を開いているのだという。シロカニペはアイヌ語で「銀の滴」の意味だ。

祭りの開催を教会に働きかけた女優の舞香さん(38)は09年から、幸恵の生涯を独り芝居にして各地で上演する。「差別だけでなく、アイヌ民族と和人、アイヌ語と日本語、アイヌ信仰とキリスト教の間で悩み、苦しみ、葛藤してきた『はざまの人』だった」。幸恵をこう表現する舞香さんは、本郷での短い暮らしについて「アイヌ語を後世に残すという使命を全うした時間だった」と語る。

区のホームページで紹介されている「文京ゆかりの文人」には含まれていないし、文京ふるさと歴史館の展示にも名前はなかった。「偉業を成し遂げた少女が、本郷にいたということを一人でも多くの人に知ってもらいたい」と願う舞香さん。もっと光が当たってもいいと思う。(江口博文)

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