沖縄戦終結75年「慰霊の日」 平和への誓い新た

2020/6/23 9:33 (2020/6/23 13:45更新)
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沖縄戦犠牲者の氏名が刻まれた「平和の礎」に手を合わせる家族(23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園)=共同

沖縄戦犠牲者の氏名が刻まれた「平和の礎」に手を合わせる家族(23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園)=共同

沖縄は23日、太平洋戦争末期の沖縄戦で犠牲になった人を悼む「慰霊の日」を迎えた。75年前のこの日、多数の住民を巻き込んだ地上戦の末、旧日本軍の組織的な戦闘が終結したとされる。最後の激戦地、糸満市摩文仁の平和祈念公園では県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開かれ、参列者は平和への誓いを新たにした。

県は新型コロナウイルス感染防止のため、例年より追悼式の規模を縮小した。式には遺族代表や玉城デニー知事らが参列し、正午に犠牲者に黙とうをささげた。参列者は約160人で、安倍晋三首相の招待も見送った。

玉城知事は平和宣言で米軍普天間基地(宜野湾市)の名護市辺野古への移設反対の立場から「我々世代が未来を見据え、責任を持つことが重要」と訴えた。

安倍首相はビデオメッセージで「基地集中の現状は、到底是認できるものではない。政府として、基地負担の軽減に向け、一つ一つ確実に、結果を出していく」と決意を述べた。

今年は戦後75年の節目のため、被爆地の広島、長崎の両市長や国連の代表者を招く予定だったが、招待を見送る代わりにビデオメッセージを寄せてもらった。県立首里高校3年の高良朱香音さん(17)は平和の詩を朗読した。

国籍や軍民を問わず、沖縄戦の戦没者名を刻んだ石碑「平和の礎(いしじ)」には30人が追加刻銘され、2020年度の総数は24万1593人となった。

1972年まで米軍統治下に置かれた沖縄では、強制的な土地収用で米軍基地が建設された。玉城知事は政府が進める米軍普天間基地の名護市辺野古移設に反対しており、政府との対決姿勢を続けている。19年2月の辺野古移設を巡る県民投票では「反対」が多数を占めた。その後の国政選挙でも移設反対派が勝利している。

沖縄戦は1945年3月26日、米軍が沖縄・慶良間諸島に上陸して始まり、同年6月23日、旧日本軍の司令官が自決し組織的戦闘が終結したとされる。県によると、一般住民の犠牲者は推計約9万4千人に上る。

52年4月28日のサンフランシスコ講和条約の発効に伴い日本は主権を回復したが、沖縄は日本本土から分離。米軍施政権下に置かれた後に、72年5月15日に本土復帰した。

「平和の礎」を見つめる中学生。沖縄戦で曽祖父を亡くした(23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園)=共同

「平和の礎」を見つめる中学生。沖縄戦で曽祖父を亡くした(23日午前、沖縄県糸満市の平和祈念公園)=共同

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