伊丹空港、複雑過ぎる市境 3市の飛び地が点在
とことん調査隊

関西タイムライン
2020/6/23 2:01
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県境をまたぐ移動自粛を――。新型コロナウイルスの感染拡大により耳にするようになったこのフレーズ。県境に思いを巡らせたとき、ふと大阪国際(伊丹)空港が思い浮かんだ。「兵庫県と大阪府、結局どちらの施設なのだろう」。地図を見ると兵庫県伊丹市と大阪府豊中市、池田市にまたがり、敷地内には飛び地が点在する。複雑に入り組んだ境界のいきさつを調べてみた。

府県境は日本航空(JAL)系が使う北ターミナルビルを東西に走るなど、空港施設を二分する。飛び地は、豊中市に池田市所属の土地が6カ所に散らばり、飛び地の中にも飛び地がある。大阪モノレールの大阪空港駅近くに伊丹市の「島」がぽつんと浮かぶ。ちなみに空港の所在地は豊中市だ。ターミナルビルの事務所があるためという。

なぜこれほどまで境界が複雑なのか。まずは空港を運営する関西エアポートに問い合わせた。「詳しいことは知らないが、飛び地は太閤検地によって生まれたと聞いた」。太閤検地は豊臣秀吉が全国の田畑を評価し領主への年貢の水準を定めた施策だ。大きな村を細かく分割し、田畑の所有者をはっきりさせた。飛び地とどのような関係があるのだろうか。

池田市立歴史民俗資料館に聞くと「検地で決まった土地所有の境界が市境になることはありうる」という。ただ「飛び地が生まれた時期がわかる地図がない」ため、太閤検地はあくまで一説のようだ。

「かつては村の外にある土地を耕作する出作(しゅっさく)という行為があった。それが飛び地として残ることがある」。こう解説するのは大阪歴史博物館の大沢研一館長だ。江戸時代までは村の境界があいまいで、村人の持つ土地が実質的な境界になっていたケースもあったようだ。村の外で耕作する住人がいれば、その村は飛び地を抱えることになった。

伊丹市立博物館の学芸員、伊藤忠章さんは享保16年(1731年)の伊丹市側の空港敷地の地図を見せてくれた。寺の境内から細い道が延び、現在の豊中市側にある墓地につながっていた。これが伊丹市の飛び地の原型かもしれない。大阪空港駅近くの「島」はこの時の名残のようだ。明治6年(1873年)の地図でも確認できる。飛び地は約290年前から存在したようだ。

伊丹、豊中、池田の3市の土地はいずれも江戸時代まで摂津国に属していたが、明治維新以後、大阪府と兵庫県に分かれた。『ふしぎな県境』の著者でもある県境マニアの西村まさゆきさんは、摂津国が大阪府と兵庫県に分かれたのは「ひとつの県にすると、東京の経済規模を超えてしまうと、明治政府が懸念したという説がある」と話す。複雑な境界の背景にいくつも要因が重なったのは確かなようだ。

1939年に開業した伊丹空港だが、現在の境界は2015年に画定した。12年に関西国際空港と経営統合し、16年に完全民営化するにあたり、伊丹など3市が固定資産税と法人市民税の課税面積を明確にするため境界を確認した。土地の交換などの交渉はなく、従来の境界を踏襲した。

ところで敷地内の市境が複雑だと空港の管理や警察に問題が出ないのか。伊丹市空港政策課は「空港を一体で管理しており支障はない」と答える。騒音や環境問題への対応は周辺の10市の協議会で話し合って決めるほか、警察は大阪府と兵庫県が人を出し合って空港警察を組織している。

県境をまたぐ移動の自粛要請は解除され、空港ターミナルを気兼ねなく歩けるようになった。それでも旅客減により発着する便数は大幅に減っている。伊丹空港から盛んに飛行機が飛び立つ日常が戻るのが待ち遠しい。ああ、早く旅行に出かけたい。

(梅国典)

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