難波は映画発祥の地 武部好伸氏寄稿
上映と興行、日本初刻む

関西タイムライン
2020/6/19 2:00
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日本で初めて映画が興行された大阪・難波の南地演舞場=戎橋筋商店街振興組合提供

日本で初めて映画が興行された大阪・難波の南地演舞場=戎橋筋商店街振興組合提供

大阪・ミナミの難波が日本の映画発祥地――。「京都=映画のふるさと」のイメージが強いので、信じ難いと思うだろう。実際、大阪でもあまり知られていない。しかし百二十余年前の映画黎明(れいめい)期、難波が日本において映画の第一歩を刻んだ地であるのは間違いない。ここで言う映画とは、今日の映画と同じ形態のスクリーン投影式のもの。

明治29年(1896年)年の暮れ、現在の「なんばパークス」近くの難波中交差点角にあった福岡鉄工所でエジソン社の映写機ヴァイタスコープによる実験試写が行われ、ニューヨークの繁華街の情景が映し出された。その年の夏、心斎橋の舶来品雑貨商、荒木和一が渡米中、エジソン本人に直談判し、輸入した装置。本人の回顧録などから映画の本邦初上映と考えられる。

その鉄工所から北へ約200メートルの南地演舞場(現在「TOHOシネマズなんば」が入っているビル)で、翌年2月15日からフランスのリュミエール兄弟が発明した映写機シネマトグラフ(撮影も可能)の映像が入場料を取って一般公開された。京都の実業家、稲畑勝太郎が持ち帰ったもので、これが本邦初興行。

映画の上映と興行の発祥地。まさにエポック的な出来事が起きた地、そこが難波だった。これらの事実を掘り下げた拙著「大阪『映画』事始め」(彩流社)を題材にして、地元の戎橋筋商店街振興組合がPRムービー「映画の街、なんば」(7分47秒)を製作し、動画投稿サイト「ユーチューブ」で公開している。大阪映画産業の原点ともいえる千日前の映画常設館「三友倶楽部」にも言及。私が案内役を務めた。

難波はその後、今日まで映画の一大消費地として栄えてきた。製作面では、京都が「映画のふるさと」だが、その種をまいた難波の〈文化遺産〉にもっと光が当たってもいいのではないだろうか。(エッセイスト)

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