ドイツ、財政規律緩和の伏線(The Economist)

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2020/6/16 0:00
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毎週木曜午後5時になると、ドイツの著名経済学者三十数人が髪を整え、喉をすっきりさせてズームを立ち上げ、独連邦財務省のビデオ会議に臨む。議題はその時々に財務省幹部らの頭に浮かんだテーマで、90分議論する。3月に新型コロナウイルス感染危機について非公式に話し合ったことから始まったこの会議での議論は、既に複数の政策につながっている(ショルツ独財務相兼副首相が議長を務めることもある)。そして本会議は、財政赤字を毛嫌いするドイツがいかに変わりつつあるかも示している。

ドイツのメルケル首相(右)が欧州復興基金創設の提案や3日に発表した大規模な刺激策を決めた背景にはショルツ財務相による説得が大きく影響しているという=ロイター

ドイツのメルケル首相(右)が欧州復興基金創設の提案や3日に発表した大規模な刺激策を決めた背景にはショルツ財務相による説得が大きく影響しているという=ロイター

独連立政権は3日、少なくとも1300億ユーロ(約16兆円)に上る景気対策を発表した。3月に成立した1230億ユーロの補正予算に続く措置だ。これで今年の新規国債発行額は国内総生産(GDP)の6%に達しそうだ。一方、ドイツはフランスと5月18日、欧州連合(EU)が5000億ユーロの共通債を発行し、コロナ禍の影響が甚大な加盟国に投資するための復興基金創設で合意した。そのため、ドイツの頑固なまでの財政規律重視の方針にあきらめを感じてきたEUの人々は、このドイツの一連の政策を歓迎するという珍事が起きている。

■一体何が起きているのか

独政治家らは2008年の金融危機を受けた景気刺激策を「愚かなケインズ主義的考え」と批判し、渋々成立に応じた。今回の対策は迅速かつ大規模で、内容もいい。諸手当を手厚くし、付加価値税率を一時的に引き下げることで消費の後押しを狙う。投資予算の500億ユーロの多くは環境対策に投じる。絶大な影響力を誇る独自動車産業は車購入のための補助金の導入を強く求めたが、政治家は(09年の時とは違い)電気自動車以外は、この要求を無視した。

10~12年のユーロ危機の際は、EUはドイツの意向を受け、救済する加盟国に財政緊縮に加え、ドイツと同様に借り入れの上限を定める「債務ブレーキ法」(もっともドイツは現在、凍結中)を憲法に入れることを要求した。だがドイツは今、EU加盟国に複数年にわたる財政移転を決めようとしている。驚くのは、このテコ入れ策を財政規律厳守より優先したことを独有権者が問題視していない点だ。ある調査では「多額の債務を負う」ことに73%が賛成した。一体何が起きているのか。

当然、新型コロナ禍が一因だ。ドイツは深刻な景気後退にある。製造業と輸出は大打撃を受け、短時間労働手当(編集注、景気後退による操業時間短縮に伴い従業員を休業させる、もしくは労働時間を短縮した場合、その従業員の減少した賃金の60%を助成する。子がいる場合は67%)の受給者は09年のピーク時でも150万人だったが、今は730万人に上る。EUレベルで支援を提供することへのドイツ国民の支持は、パンデミック(世界的流行)による打撃が大きい国への方が財政規律が弱い(とみなされている)国へよりも得やすい。加えて半年前に失速したとみられていた政権への支持率が回復し、大胆な策を打ち出す余裕が生まれたことも手伝った。

■財政支出拡大への地ならしは進んでいた

もっとも、財政支出拡大に向けた地ならしは以前から進んでいた。デュッセルドルフにあるハインリッヒ・ハイネ大学のイェンツ・ズーデクム教授は、ドイツにおける経済学の思考は近年劇的に変わったと指摘する。規律を重視する「オルド自由主義」を信奉する古い世代の経済学者の一部が若い世代に道を譲った。若手の多くは留学経験があり、実証経済学を修め、世界の主流中の主流の考え方をしている。財政出動は経済の安定に有効と回答した独経済学者の割合は、10年から15年の間に倍増した。この新世代の経済学者らがコメンテーターとして、財政赤字を出さない「シュバルツェ・ヌル(黒いゼロ)」の規律が本当に望ましいのかといった議論を活発に巻き起こしてきた。

新世代の経済学者は現実的なため、政策立案者らが耳を傾けるようになった、と独立系シンクタンクのセンター・フォー・ヨーロピアン・リフォームの経済学者クリスチアン・オデンダール氏は話す。ショルツ氏とショルツ氏の主任エコノミストを務めるヤコブ・フォン・ヴァイツゼッカー氏の下、独財務省はサロンと化した。彼らは1週間、頻繁にメールのやり取りをした末にズーム会議を開いて議論するからだ。こうした場を作ったのは、ショルツ氏と同じハンブルク出身のウォルフガング・シュミット財務副大臣と、以前は米ゴールドマン・サックスのドイツ部門トップを務めていたヨルグ・クーキース副大臣だ。

■EU復興基金はゴールドマン出身の財務副大臣がきっかけ

独仏によるEU基金創設提案でもクーキース氏は一役買った。あるシンクタンクが書いた米連邦制に関する古い文書にヒントを得た同氏は、これをショルツ氏に読むよう強く推したことが基金創設の提案に結びついた。

もっともショルツ氏の周りでいくら盛り上がっても、最後は彼の上司であるメルケル首相がどう判断するかだ。ショルツ氏はメルケル氏と長時間話す際、いつも大変な説得力を発揮すると彼の副官らは言う。メルケル氏は来年の連邦議会選挙後に退任するため、その権威は国内外で弱まっている。従って他の人々が動く余地があった。

■財政規律の方針転換でないというロジック

では、このドイツの変化は持続するのだろうか。必ずしも持続するとは限らない。

ショルツ氏はドイツ社会民主党(SPD)の中核メンバーだが、メルケル氏のドイツキリスト教民主同盟(CDU)と同様、経済が好調だった時に負債を返済しておいたからこそ今、財政の緩和が許されるという考え方だ。これは緊縮論者らしい論法で、反論する経済学者は多いが、財政出動に今回踏み切ったのは財政規律の方針転換ではなく、規律があるからこそ実施できたという考え方だ。「これはUターンではなく、今はそれ相応の対応が必要な例外的状況ということだ」とフライブルク大学のラルス・フェルト経済学教授は言う。

債務ブレーキ法に批判的な向きは、同法があると危機の際に歳出できないとしていたが、今回の財政支出で反論しにくくなったとチューリヒ大学のルーカス・ハッフェルト氏は指摘する。また、CDU保守派の忍耐にも限界がある。まず債務返済のペースをどうするかで財政規律を巡る議論が起きるだろう。ズーデクム氏は「返済ペースを早め過ぎると経済には打撃になる」と警鐘を鳴らす。

■ショルツ氏が独国内の議論を変える可能性

だが、EU基金創設を巡る議論は、財政支出に関する議論とは少し異なる。ショルツ氏は、基金創設はEUの財政同盟に向けた前進だとか徴税権のEUへの移行は、EUも米国のような連邦制になる「ハミルトン的瞬間」に向かうかもしれないといった発言をするようになった。ドイツ連邦銀行(中銀)によると、ドイツの今年のGDP縮小率は6%と、フランスやイタリアより格段に穏やかだ。つまり、ドイツの財政支出は他の加盟国との差をさらに広げることになるため、加盟国間の財政移転が必要だとの議論に材料を与えることになる。加えてドイツの輸出業者にはEUの顧客も必要だ。ただ、19日から始まるEU首脳会議で復興基金創設を巡る交渉をするのはショルツ氏ではなくメルケル氏だ。

だがメルケル氏に残された時間は少ない。ショルツ氏は来年メルケル氏の後継者となるべくSPDの候補指名を得るだろう。その場合、従来の財政規律重視のルールを無視するような発言は決してしないはずだ。CDUの対立候補に無人のゴールを明け渡すようなものだからだ。

だが、ショルツ氏はありきたりな財政の議論から思い切って一歩踏み込み、ドイツの投資不足や依然として低賃金労働の仕事が雇用の大きな割合を占めている問題、EUにおけるドイツの役割といった幅広い議論を展開する可能性がある。その場合、ドイツ自体が大きく変わらないにしても、ドイツ国内の議論は少なくとも変わっていくことになる。

(c)2020 The Economist Newspaper Limited. June 13, 2020 All rights reserved.

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