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金平糖、24の角は1週間熱した結晶 大阪糖菓

匠と巧

光沢や釜を滑り落ちる音を確かめながら、くわを入れて均等に乾燥させる=目良友樹撮影

ポルトガルから伝来した砂糖菓子は日本で独自に発展し、角を持つ金平糖に進化を遂げた。大量生産の発祥地となったのが大阪。大阪糖菓(大阪府八尾市)ではいまも5人の職人が汗をかきながら熱い釜を回し、毎日1ミリずつ金平糖の角を伸ばしている。

工場には甘い蜜の香りが充満している。ガスバーナーの炎の上を斜めに傾けた直径2メートルの大釜がゆっくり回転すると、金平糖がザーザーとさざ波のような音を立てて動く。室内は5月でも30度を超え、じんわりと暑い。夏場には50度近くにもなるという。

金平糖作りは直径1ミリのグラニュー糖1粒から始まる。そこにグラニュー糖を溶かした蜜を少しずつかけて大釜であぶり、30分に1度はくわで混ぜながら乾燥させる。高温で水分を蒸発させれば色が鮮明になり、カリッとした良い金平糖になる。

1日8時間作業をして、大きくなるのはわずか1ミリ。1週間~10日繰り返すとようやく定番の7~10ミリ程度の大きさになる。根気のいる作業だ。

「理想は24の角がそろった半透明に輝く金平糖」と金平糖作り13年の桃井博史統括部長(50)。蜜をかけると粒同士がくっついたところが変形し、最初は1粒に50個ほどの突起が生まれる。傾きや温度を変えながらしっかりと大きくすると、不思議なことに角が24個に集約されていくという。

色や形を見て、釜の中で動く音を聞いて、乾燥具合を触ってと、製造工程は職人の五感が頼りだ。「基本の作り方はあるが、きのうときょうでは微妙に異なる」(桃井さん)。湿度や温度、原料の微妙な違いが金平糖の形状を大きく左右するため、気候に合わせて、釜の温度や蜜の濃度を調整する。

ポルトガルから伝来した砂糖菓子は当初はクルミのような凸凹のある形だったという。「江戸時代に日本人の美的センスが加わり角が生えた金平糖がでてきた」と3代目の野村しおり社長は説明する。明治時代に入り大阪の商人が釜を開発し、大量生産が始まった。日持ちのする金平糖は戦時中の兵士の貴重な食料としても重宝されたという。

ただ金平糖を取り巻く環境は厳しい。最近は結婚式の引き出物や観光地のみやげが中心となっている。「60年ほど前は大阪だけでも20社近いメーカーがあったが、今は全国でも7~8社に減ってしまった」(野村さん)。新型コロナウイルスの感染拡大が追い打ちをかけ、みやげものとしての需要も落ち込んでいる。

最近は金平糖の新たな形を探ろうと、直径1ミリの「世界一小さい金平糖」や、美しい形に仕上げるのが難しい塩を使った熱中症対策用の品などを模索する。自社製の粉糖を使ったせっけんや、金平糖をモチーフにしたアクセサリーを作るなど商品の幅も広げている。

「金平糖は作るのに2週間近くもかかる非効率なお菓子」。野村さんはそうつぶやく。それでも新商品を打ち出し、「大阪の企業らしく面白いことやっているなと興味を持ってもらいたい」と笑顔で話す。(斎藤毬子)

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