岩淵水門(東京・北) 下町の氾濫防ぐ守りの要

ひと・まち探訪
コラム(社会・くらし)
2020/6/13 10:30
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2019年10月12日夜、東京の荒川は台風19号の直撃を受けていた。首都圏初となる大雨特別警報が発令される中、怒濤(どとう)が逆巻き、水位は上がり続けた。

奥の岩淵水門から隅田川が始まる。手前は稼働を終えた旧水門(東京都北区)

奥の岩淵水門から隅田川が始まる。手前は稼働を終えた旧水門(東京都北区)

緊迫の度が極まった午後9時17分。東京都北区にある「岩淵水門」が閉鎖された。1枚214トンもある青いゲートが3枚、ゆっくりと沈み、押し寄せる濁流を遮っていく。閉門は12年ぶりのことだった。

岩淵水門は隅田川が始まる場所だ。荒川はここで2つに分水され、片方が「隅田川」に名を変える。荒川の洪水時は水門を閉じ、より流路が狭い隅田川側への流量を抑えることで、東京下町での氾濫発生を防ぐ。

台風19号では荒川の水位は7.17メートルに達した。一方、隅田川の堤防高は6.9メートルどまり。水門を閉じなければ氾濫していたとみられる。

「とうとう水門閉鎖!」「がんばって!」。国土交通省荒川下流河川事務所がツイッターで水門閉鎖を伝えると、多くのつぶやきが飛び交った。当時は干潮だったことも幸いし、隅田川は何とか氾濫を免れた。同事務所地域連携課の藤原健治さんは「ほっとしました」と振り返る。

かつては荒川といえば今の隅田川を指した。名前の通り荒れては水害を繰り返したため、明治末から昭和初期に約20年をかけ、岩淵水門付近から東京湾に注ぐ22キロの大放水路が人の手で開削された。それが現在の荒川下流部だ。水門もその一環で築造されたものだ。

岩淵水門には現役稼働中の「青水門」と、老朽化で役割を終えた「赤水門」の2つがある。1924年(大正13年)完成の赤水門は、当時の放水路事業関連で唯一現存する水門で、東京都選定歴史的建造物にも選ばれ、地域の憩いの場になっている。

赤水門上の歩道を渡ると荒川の中州に出る。ベンチに寝転んだり、楽器の稽古をしたりと、近隣住民らが思い思いにくつろぐ。初めて釣りに来たという小4男児は、さおを握りしめ「テナガエビが釣れたんだ」と満面の笑みを浮かべた。

川面には対岸の埼玉県川口市の高層マンション群が映る。映画「キューポラのある街」で吉永小百合演じるジュンが青春を過ごした鋳物の街は、荒川が運ぶ良質な川砂や粘土を鋳型に使って古くから栄えた。時に災厄を呼び、時に糧を届ける。川との共生は続く。(山本有洋)

平常時の岩淵水門(左下)=国土交通省荒川下流河川事務所提供

平常時の岩淵水門(左下)=国土交通省荒川下流河川事務所提供

2019年10月の台風19号時の岩淵水門(左下)。ゲートが閉じられている=同事務所提供

2019年10月の台風19号時の岩淵水門(左下)。ゲートが閉じられている=同事務所提供

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