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有馬温泉再生、危機が創意の源 金井啓修さん

関西のミカタ 有馬温泉観光協会会長

かない・ひろのぶ 1955年兵庫県生まれ。81年株式会社御所坊社長に就任。御所坊は1191年の創業とされ、金井氏は家系図が残る江戸期以降で15代目の主人。2016年有馬温泉観光協会会長に就任。観光庁の「観光カリスマ」にも選ばれた。

■日本書紀にも登場する神戸市の有馬温泉。老舗旅館「御所坊」の主人で、有馬温泉観光協会会長の金井啓修氏(65)は、新型コロナウイルスの危機と向き合っている。

5月下旬に緊急事態宣言が解除された後も、有馬の人出はまだまだ少ない。営業を再開する旅館も手探りの様子だ。7月後半の連休に期待をしているが、当面は厳しい状況が続くのではないか。

有馬は1995年に阪神大震災、2009年に新型インフルエンザ(神戸で国内初の感染確認)を経験した。だが世界が移動の自由を奪われる事態は初めて。家庭内や少人数での楽しみ方を経験したことで、人の動きがどう変わるのか。団体行動や過密を避け、観光地には安心感や清潔感が求められるだろう。

■有馬温泉の観光客数は90年前後のバブル期を境に、その後は低迷期が続いた。

中高生のころ、有馬は団体旅行向けに施設が大型化し、客を囲い込み、町の商店街が廃れていった。有馬に魅力を感じず、町を離れて北海道で1年ほど暮らしてみたが、地元のことが何かと気にかかり22歳の時に戻った。同世代の仲間も有馬に帰ってきていて、有馬をどうにかしようと話し合うようになった。

そんなとき神戸市が若手の僕らに声をかけてきた。全国では個人客向けの個性的な宿や、大分県の由布院のような地域全体でまちづくりに力を入れる温泉地が注目されていた。2年ほど議論を重ね、87年にまちづくりのマスタープランを作成した。そぞろ歩きのできる温泉街の復活だ。

ところがこうしたプランは総論賛成で、具体的な話が進まない。そうこうしているうちに95年1月の阪神大震災が起きた。宿泊客が戻らないなかで考えたのが、昼食と入浴をセットにした日帰りプランだ。10軒ほどの宿で始めて、最初は旅行会社にも相手にされなかったが、11月には観光案内所に行列ができるほどの人気に。観光客が増えると商店街にも店が戻り、そぞろ歩きを楽しめるようになった。震災をきっかけに有馬のまちづくりが進んだ。

街づくりの参考にするため昨年、スペインを視察した(左が金井氏)=同氏提供

■16年に観光協会の会長に就いた直後、中心部の湯本坂で火災に見舞われたが、空き家に店舗を誘致したり宿泊施設に改修したりと「有馬らしい」まちづくりを追求する。

これからの温泉地は自らの特長を生かしたテーマづくりが必要だと思う。有馬では7年前に作った新たなマスタープランで、ドイツのバーデンバーデンのような国際的な温泉リゾートを目指すとした。人口減少が進む以上、高単価を狙わないと生き残れない。それにポストコロナでは3密回避のため客数が少なくなるかもしれない。その意味でも有馬が目指す方向は間違っていない。一方で素泊まりの宿を整備するなど受け入れの幅は広げている。

阪神大震災のあと日帰り入浴に取り組んだように、ポストコロナでは、有馬の目の前にある六甲山の自然との結びつきを強めながら、観光地ならではの「昼飲み」の文化を定着させたい。

これからは3密回避の流れで、自然の中で過ごすことがトレンドになるのではないか。もともと有馬では六甲山の帰りに入浴で立ち寄り、風呂上がりに夕方まで一杯飲んでくつろぐ登山客が多かった。そこで9月から、飲食店などが多数参加する昼飲みの企画を準備している。タイミング良く、町を流れる有馬川の河川改修が7月に完了し、広々とした河原で柔軟にイベントができるようになる。有馬に行けば色々な昼飲みが楽しめるという風にしたい。

阪神大震災や新型インフルエンザの際も、仲間が集まって復興に取り組んだ。今回のコロナ危機も皆で力を合わせれば乗り越えられるはずだ。

(聞き手は堀直樹)

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