ニクソン氏に及ばぬトランプ氏(The Economist)

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2020/6/9 0:00
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米国全土に抗議活動や暴動が広がる現在の状況を1968年の騒乱と重ね合わせる人は多い。この年、公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング牧師と大統領候補だったロバート・ケネディ上院議員が暗殺され、人種差別に反対する暴動が各地で頻発した。だが、トランプ大統領ほど熱心に68年と現在の状況を比べてみた人はいない。

週末に米ホワイトハウス近くで行われたデモには黒人男性が警察官に窒息死させられたことに抗議する大勢の人々が参加した=AP

週末に米ホワイトハウス近くで行われたデモには黒人男性が警察官に窒息死させられたことに抗議する大勢の人々が参加した=AP

黒人男性ジョージ・フロイドさんが白人警察官に窒息死させられたミネソタ州ミネアポリスで事件に抗議するデモが過熱し始める中、トランプ氏は半世紀前に人種対立が深まった際に警察幹部が用いた「略奪が始まれば銃撃も始まる」との表現を使い警告した。そしてホワイトハウス敷地内の地下室から姿を現すと「私は法と秩序を尊重する大統領だ」と宣言した。68年の大統領選でニクソン陣営が「法と秩序」という戦略を掲げて勝利したことになぞらえた。

ニクソン元大統領にあやかろうとするトランプ氏

トランプ氏はツイッターに「サイレント・マジョリティー(声なき多数派)!」とも投稿した。これは11月の大統領選に向けてニクソン元大統領にあやかるものだ。(編集注、ニクソン氏は69年の演説で「グレート・サイレント・マジョリティー」と国民に呼びかけ、自らの政策への支持を求めた)。今回の騒乱はトランプ氏に有利に働くのだろうか。

その可能性はある。暗黒の時代の68年と、今日の党派や人種を巡る対立や経済、医療の格差で分断された状況との類似点は明らかだ。暴動は必ず鎮圧するという強硬姿勢は、ニクソン氏が68年の大統領選で民主党候補のハンフリー氏に勝利した後も共和党の必勝戦術として好んで使われた。しかもトランプ氏が勝利するには過半数を必要としない。米大統領選の選挙人団が共和党に有利な構成になっていて、トランプ氏は現在の支持率より3ポイントだけ高い46%の得票率で当選できそうだ。

その3ポイントを上乗せしようと、トランプ氏は1日、ホワイトハウス横のラファイエット広場で自己中心的な騒動を巻き起こした。政権が派遣した警官隊にホワイトハウス前の平和的なデモ参加者や報道陣を強制排除させ、トランプ氏のために通り道を作らせた。デモで一部損壊した教会の前で同氏は聖書を片手に厳しい表情を浮かべ写真撮影した。

このシーンは筆者にジャカルタやキンシャサでの取材を思い起こさせた。その後、傷つきながらも現場に残り怒りをあらわにする人々を低空飛行するヘリコプターの風圧で追い払おうとしたトランプ政権のやり方は、バグダッドでの取材を思い出させた。共通するのは国家による暴力という嘆かわしい事態だ。

暴力の多発を好機ととらえたかにみえるトランプ氏

だが、全米に広がる略奪やセントルイスで警察官4人が負傷するなど、抗議参加者による暴力が多発する中、トランプ氏がこの暴力に世間の注目を向けることができる限り、テレビ向きの強力な指導者であろうとする戦術が奏功する可能性はある。その夜、保守系のFOXニュースでは、ワシントン在住で白人層の不安を掘り起こすのにたけた司会者タッカー・カールソン氏がトランプ氏は「暴徒」に対して「弱腰だ」と非難した。きっとこの番組を見ていたであろうトランプ氏は、これを自分が攻める政治的好機ととらえたのだろう。

しかし、トランプ氏がニクソン氏にあやかって勝利できる可能性は、トランプ氏が期待するほど高くないと考えられる理由が2つある。まず、トランプ氏が自分で思うほどニクソン氏との共通点がない。ニクソン氏は2期続いた民主党政権の打倒を目指した挑戦者で、現職のリンドン・ジョンソン大統領はあまりのトラブル続きで就任1期目にもかかわらず再選への出馬を断念した。ベトナム戦争は絶望的な状況で、反戦運動が収まる気配はなかった。

ニクソン氏がキャンペーンのスローガンで国民に「全世界の命運が自分の一票にかかっていると思い投票してほしい」と訴えたのは、人種問題の激化を憂えただけのことではない。米国が世界を支配した時代は終わりつつあるとの警鐘を鳴らす意味もあった。今も同様の考えを持つ無党派の米国民であれば、トランプ氏は衰退にブレーキをかけるのに失敗したか、さもなければ衰退を招いた張本人だと論理的に結論づけるであろう。

ニクソン氏のように熟練した政治家であれば、このような弱点を解消しようとするだろう。確かに同氏は怒れる挑戦者というイメージを前面に出していたが、国民への訴えはトランプ氏よりはるかに広範に及んでいた。ニクソン氏は脅し戦術を「今の若者たちは世界を変えられる」という賛辞へと変えていった。今よりずっと白人が支配的で公然と人種差別がされていた当時の米国で、人種問題に関してもはるかに配慮があった。同氏の68年のキャンペーンで最も人々の感情に訴えかけたと思われる広告で、「米国の秩序の問題に率直に向き合おう」という同氏の呼びかけに登場したのは、黒人ではなく抗議活動をする白人の反戦活動家の映像ばかりだった。

今日の基準に照らしても、人種的不平等を深く憂慮する有権者がニクソン氏に投票する可能性は十分考えられる。平和的な抗議活動に参加した黒人フットボール選手を国外追放すべきだと主張したり、非白人の女性議員に対し「国に帰っては」と発言したりするトランプ氏は、人種問題を懸念した有権者からの集票をできないだろう。

トランプ氏がニクソン氏をまねできないと考える2つ目の理由はもう少し前向きだ。対抗する民主党陣営がトランプ氏ではできない多数派を形成しつつあるという点だ。抗議運動の背後にある正当な怒りも民主党に追い風となろう。警察は白人より黒人の容疑者に対して過剰に実力行使する可能性が高いと正しく答えた米国民の割合は、この4年間で2倍近くに増えた。このリベラルへのシフトは、民主党がトランプ氏への対抗措置として人種間の平等への訴えを強化した結果だ。それは多様な人々が抗議活動に参加していることにも表れている。

「法による平等な保護」が実現しない人種間の格差が抗議の背景

黒人人口の割合が高いワシントンでさえ、抗議デモ参加者の約半数が白人だ。しかもトランプ氏がこう非難する「極左の無政府主義者」ではない。筆者は今週、ホワイトハウスの外でひざまずいたり声を上げたりしている群衆の中で、若い年代の専門職や起業家、幼い子を持つ親などと会話した。聖書を小脇に抱えた20代の航空宇宙エンジニアのモーガンさんは、この2日間の大部分を街頭で過ごし、フロイドさんへの正義を求めるとともに、警官やデモ参加者の分け隔てなくともに祈った。この国の首都はリベラルなところだ。だがこれ以外でも、歴史を巻き戻そうとするトランプ氏の試みが同氏に対する反発を招き早々と審判が下るリスクをはらんでいる。

そう考えるとトランプ氏は、もう一人の先人がたどった運命から教訓を学ぶべきだ。1868年に同じく弾劾訴追を受けた民主党のアンドリュー・ジョンソン大統領だ。無節操な人種差別主義者で、自らをイエス・キリストになぞらえる性癖があったジョンソンは、リンカーン大統領暗殺で後任の大統領に就任したが、その手腕は前任者に遠く及ばず、1866年の中間選挙では「急進的な共和党」のせいで米国が再び内戦に陥るとキャンペーンで主張した。だが有権者は、元奴隷の解放を定める法案に拒否権を行使し、自らの支援者を暴動へと駆り立てたジョンソンこそが紛争を引き起こすと判断した。

その結果共和党は大勝し、大統領拒否権を覆すだけの議席を獲得した。これによってすべての人に「法による平等な保護」を保証する合衆国憲法修正第14条が承認された。これが今でも完全に実現されていないのは悲劇で、いまだに抗議活動を続けねばならない状況だ。だが、ここ2週間ほどの出来事によって、その実現に少し近づいたのかもしれない。

(c)2020 The Economist Newspaper Limited. June 6, 2020 All rights reserved.

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