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お菓子発祥は和歌山・海南? 古代の甘味「橘」が伝来

とことん調査隊

和歌山県海南市のJR海南駅改札口を出ると、同市の観光情報や特産品を展示したコーナーがある。その一角にある柱の掲示に「みかん・お菓子発祥の地 海南市」とあった。記者は関西出身だが、そんな話は初めて聞いた。調べると同市にはお菓子の条例まであるという。由来を調べてみた。

まず、お菓子の条例について調べてみた。正式には「海南市お菓子の振興に関する条例」といい、2018年12月に施行されたようだ。ミカンの原種であり、お菓子の起源といわれる橘(たちばな)が海南市下津町の「六本樹(ろっぽんじゅ)の丘」に植えられた、との説明が条例の中にある。

これが海南市を「お菓子発祥の地」と呼ぶ根拠のようだ。興味深いのは、海南が日本におけるミカン発祥の地でもあるらしいこと。和歌山県はミカン生産量日本一のフルーツ王国だが、海南はその起源なのかもしれない。

「六本樹の丘」はかつて同市の橘本(きつもと)神社にあったと聞き、前山和範宮司を訪ねた。

「橘の話は古事記と日本書紀に記述があります」と前山宮司は教えてくれた。西暦60年ごろ、第11代垂仁天皇の勅命で、田道間守(たぢまもり)が不老不死の霊菓を求めて常世国(中国と推定される)に渡った。田道間守は橘を手に入れて帰国したが、既に垂仁天皇は死去していた。田道間守は橘を垂仁天皇の陵にささげ、悲しみのあまりこの世を去ったという。

この橘の実が日本のお菓子のルーツの一つになったようだ。前山宮司は「砂糖が手に入らなかった時代、果物を加工した甘味がお菓子として重宝された」と指摘する。橘本神社の祭神である田道間守はミカンの神様と呼ばれていたが、大正時代の頃にお菓子の神様とも呼ばれるようになったという。

橘を最初に移植したと伝えられる「六本樹の丘」は、橘本神社が移転したため現在の境内にはない。ただ橘の木があるというので見せてもらった。神社が代々、種から育てて受け継いでいるという。

橘本神社は熊野古道の「王子」と呼ばれる休憩所の一つだ。風情ある石垣のそばに高さ2~3メートルの木があった。これが橘で、秋になるとオレンジ色の実がなる。橘の木のそばに拝殿が立っており、屋根にはモモとミカンの形をした瓦が載っていた。フルーツ王国の和歌山らしい。

拝殿では毎年4月、全国銘菓奉献祭が開かれ、菓子業者から銘菓の奉献がある。「江崎グリコ森永製菓なども参加する」と前山宮司。菓子業界では海南は著名な存在のようだ。

お菓子の条例制定は食品卸を手がける野田商店(海南市)の野田智也社長らが中心になって進めたと聞き、同商店を訪ねた。

「海南が『お菓子発祥の地』という説は、市民でも知る人が少ない。条例を定め、もっとPRする必要があると考えた」と野田社長は力を込める。きっかけの一つとなったのが野田社長らが17年に開催した「かいなんお菓子まつり」だ。1万人を超える来場があり「お菓子は年齢に関係なく人を引き寄せる」と実感したという。

そこで市内の菓子業者や海南市役所、市会議員らと協力して実現したのがお菓子の条例だ。野田社長らは市内の小学校や幼稚園で出前授業を始め、絵本の読み聞かせやクイズ大会で橘本神社の話を子どもたちにも広めている。

猫のキャラクターで、胴の部分が橘の実というデザインの「海ニャン」もPR用に制作した。海ニャンは同市の公式のキャラクターとなる予定だという。今後は橘の木を市内各所に植え、さらにPRを加速したい考えだ。(細川博史)

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