「いつかめぐみちゃんに…」願い届かず 横田さん死去

2020/6/5 22:42
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2002年9月、娘のめぐみさんが死亡したと聞かされ涙を流す横田滋さん(左)(衆院第1議員会館)=共同

2002年9月、娘のめぐみさんが死亡したと聞かされ涙を流す横田滋さん(左)(衆院第1議員会館)=共同

拉致被害者家族の先頭に立ち、救出運動の象徴的存在だった横田滋さんが5日、亡くなった。「家族が平凡でも幸せに暮らす日々を取り戻したい」。長女、めぐみさんとの再会を信じ、長年抱き続けた願いはかなわなかった。

めぐみさんが新潟市内で消息を絶ったのは1977年11月。日本銀行新潟支店に勤めていた滋さんは妻の早紀江さん(84)と毎朝、海岸などを歩いて回った。東京転勤までの6年間、めぐみさんが深夜でも戻れるように門灯は一晩中つけっぱなしだった。

97年2月、北朝鮮による拉致の可能性が浮上。ほかの7家族と結成した北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会)代表に就任した。

2002年9月の日朝首脳会談で、金正日総書記(当時)がめぐみさんらの拉致を公式に認め、謝罪したが、めぐみさんは93年に死亡したと通知。滋さんは「いい結果が出ると楽しみにしていたのに」と涙を流した。

その後、遺骨や死亡時期を巡り、北朝鮮側の説明に疑問点が次々と判明。「めぐみは生きている」を合言葉に、映画や写真展を企画。チェイニー元米副大統領や金泳三・元韓国大統領らとも会い、救出を訴えた。

孫娘キム・ウンギョンさんとモンゴルで面会した際は「めぐみに似ていた。長年の希望がかなった」と喜びを語っていた。15年ごろから体調が悪化。17年に来日したトランプ米大統領が家族会メンバーと面会した際も滋さんの姿はなかった。

めぐみさんからプレゼントされたクシを肌身離さず大切にしていた。「いつかめぐみちゃんに髪をといてほしい」。父の願いは届かなかった。

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