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歩みの全て生誕の地に ゆかりの品、集めて展示

欧州パラリンピック紀行(6) 英ストーク・マンデビル

1964年東京パラリンピックの開会式次第に描かれたロゴ(英国ストーク・マンデビルのナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センター展示)

パラリンピックを生んだ英国ストーク・マンデビル病院に併設するスタジアムには聖火台がある。1984年、米国で開く予定だったパラリンピックが、財政難で車いす競技だけここで分離開催となった時のものだ。金属製の柱にお皿を載せただけのシンプルな形が、急ごしらえを物語る。

聖火が再び戻ってきたのは地元開催の2012年ロンドン大会。イングランド、ウェールズなど英国を構成する4地域の最高峰の山頂で採った火を、スタジアムで一つにしてから聖火リレーを始めた。来年8月に延期となった東京パラでも、日本各地で採火したものを一つにするイベントに、ここから映像を通して参加する予定だ。

成長したパラリンピックが手元を離れても、こうして生誕地としての役目を務めてきた病院だが、その歴史を積極的に誇示してきた様子はない。昨年3月、スタジアム内のアリーナの一角に「ナショナル・パラリンピック・ヘリテージ・センター(NPHC)」をオープンし、ゆかりの品の展示を始めるまでは。

190万ポンド(約2億5千万円)を集め、運営のために作られた公益団体のビッキー・ホープウオーカーは「ロンドン大会の盛り上がりが我々を変えた。コレクションの大切さに気づいたんです」と理由を説明する。

病院のボイラー室に無造作に放置されたり、英国パラリンピック委員会や競技団体、選手が保管したりしていた記念品をかき集めた。ユニホームだけで100着以上に上り、数百万点のアイテムがあるという。

秘蔵品として彼女が見せてくれたのが、1964年東京大会の開会式次第。車いすの車輪が5つ、ハトの前に連なるマークが記されている。パラリンピックで初めて作られたロゴだ。「強いイメージで、私は好きですね」とホープウオーカー。これが翌年創設される、日本身体障害者スポーツ協会(現日本障がい者スポーツ協会)のマークとして今に受け継がれる。

第2次世界大戦時、死に至るケガとされていた脊髄損傷の治療法を確立し、リハビリにスポーツを活用したこの病院が残したレガシーはパラリンピックに限らない。生活支援の道具を作るエンジニアリング部門も大きな足跡を残した。体の動かない患者がベッドの上で腕の運動ができるようにした装置から、寝転んだまま腕でこげるハンドサイクルが開発された。

また、腕もまひした患者が吐く息でタイプライターをうてる、コミュニケーション器具も発明。この技術を発展させたのが、ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者らが使う音声合成装置だ。物理学者スティーブン・ホーキングが、その助けを借りてロンドン大会開会式で行ったスピーチは大きな感動を呼んだ。

「すべての道はストーク・マンデビルに通ず」とでも言えるような功績がある。

=敬称略

(摂待卓)

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