歯ブラシ生産首位の大阪 綿業の里、明治に転身
とことん調査隊

関西タイムライン
2020/6/2 2:01
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誰もが毎日使う身近なケア用品、歯ブラシ。その国内生産地の中で最大シェアを誇るのが大阪府と聞き、少し驚いた。主に八尾市や東大阪市で生産が盛んだという。調べてみると、一大産地化したのは明治中期。背景にどんな事情があったのか、探ってみた。

5月半ば、近鉄八尾駅を訪れた。住民が憩う駅前の公園で見つけたのは、歯ブラシを組み合わせたような形のモニュメント。「歯ブラシの国内生産高日本一」と誇らしげなメッセージを掲げている。2005年、当時の八尾市長によって建てられたという。

まず足を運んだのは、歯ブラシ製造事業者が加盟する「全日本ブラシ工業協同組合」(東大阪市)。現在、歯ブラシを製造する加盟48社のうち、大阪府内は36社と4分の3を占め、八尾市には府内の半数近く、17社が集まる。

なぜ八尾にこれほど多くのメーカーが集まっているのか。同組合の広報担当で歯ブラシ製造会社、ラピス(八尾市)の乾真治社長は「高度な植毛技術を持っているから」と語るが、日本の歯ブラシの歴史は明治期以降のことだ。

同組合によると、日本で初めての国産歯ブラシは1870年代前半、西洋の歯ブラシを基に大阪で作られた。鯨のひげの柄に馬毛を植えたもので「鯨ようじ」と呼ばれた。

一方、八尾一帯は18世紀から綿花や河内木綿の生産で栄えていたが、明治に入って海外産の安価な綿花の輸入が進むと徐々に衰退。綿花に代わる収入源を探していた。

大きな転機が訪れたのは1890年ごろ。政府が軍用歯ブラシを大阪の商人に依頼し、日本で初めての歯ブラシメーカーが大阪市に誕生した。そこから販路を拡大したメーカーが求めたのは、植毛などの手作業をこなす安価な労働力。河内木綿の産地だった八尾は、新たな副業を必要とし、細かな作業をいとわない人材の宝庫だった。「両者の思惑が一致する形で、歯ブラシ製造が地場産業として発展した」と乾社長。

明治末期から大正にかけては、庶民の間で歯磨きの習慣が定着。機械化による大量生産も始まり、事業者の数も増えた。1940~50年代、大阪の歯ブラシ生産は全国の9割を占めるほどまで成長し、そのうちの6割は八尾で生産されていたという。

歯ブラシのOEM(相手先ブランドによる生産)の国内最大手、ヤマトエスロン(八尾市)の松下俊治社長によると、歯ブラシの素材も時代背景で移り変わっていった。

第2次大戦中、歯ブラシの柄の原料となる獣骨が不足したため、合成樹脂やセルロイドが使われた。だが戦争が激化してさらに物資が不足すると、竹や木で代用した柄に。戦後は素材の研究開発が進み、プラスチックの柄や、獣毛の代わりにナイロンが使われるようになった。

ところで、最新の歯ブラシ事情はどうだろうか。ヤマトエスロンではここ数年、歯茎を痛めない歯ブラシなど、高機能製品の開発に注力。舌ブラシや歯間ブラシなど独自の植毛技術による口腔(こうこう)ケア分野にも力を入れる。国民1人当たりの歯ブラシ消費量は年間4本程度だが、松下社長は「歯の健康を考えると、本来は月に1回交換するのが望ましい」と話す。

大阪税関によると、2019年の歯ブラシの輸出額のうち、近畿は71.8%を占める。品質の高さや豊富なラインアップに対する評価をベースに、「衛生用品だけに、検査体制などを含めた付加価値の高さもアジア各国で信頼されている」と担当者は語る。

一方、海外からの安価な歯ブラシの輸入も増え、大阪府内の生産量は減少傾向。後継者不足による廃業も進むなど課題は多い。それでもラピスの乾社長は前向きだ。「歯の健康への関心は高い。歯ブラシを含めた口腔ケアはまだ伸びる」と話す。(中川竹美)

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