コロナで見えた「他者への不寛容」 戦うべき相手は
ダイバーシティ進化論(水無田気流)

新型コロナウイルス流行がもたらした最大の「敵」は、社会の分断だろう。このパンデミック(世界的な大流行)は当初発生源とされる中国人、さらにはアジア人差別を世界中でまん延させてしまった。
国内に目を転じれば、地域間移動の「自粛」を求めるあまり、地元住民以外への敵がい心をあらわにする事態も横行している。例えば4月下旬には、岡山県の伊原木隆太知事が山陽自動車道下り線の瀬戸パーキングエリアで、来県者らへの検温を行うと発表。その際の発言を巡ってインターネット上で批判が殺到したこともあり、その後、検温は中止することとなった。
「県外」という言葉は、今や感染リスクへの恐れとともに用いられている。知事による県外からの流入制限指示が結果的に県民に強く意識されすぎたのか、他県からの流入者への過剰な排斥が見られた地域もある。県民を守る義務感は理解できるが、一歩間違えれば「よそ者」意識に拍車を駆ける懸念はないか。
実際、全国各地では県外ナンバーの車が傷つけられ、退出を促す紙が貼られるなどの嫌がらせが起きているという。私見では、車の普段の利用地域と登録住所が異なる場合もあり、国民生活維持の観点からも商用車の移動を完全に止めることは現実的ではない。さらにこのウイルスが収束した後も、よそ者への敵がい心が表明された地域への不信感は残されるだろう。
人口減少が進む日本では現在、Iターンや二地域居住、さらには老後移住などを奨励し工夫を凝らす市町村が多々ある。だが、今回の件で閉鎖的な土地柄が強調されれば、新規住民獲得に尽力してきた現場の努力は水泡に帰す恐れもある。
県外ナンバー車への嫌がらせは「自粛警察」と呼ばれる私的制裁だ。正直、戦時中の隣組を彷彿(ほうふつ)とさせる事態に、戦慄を覚えた。
背景には、政府がロックダウン(都市封鎖)ではなく、あくまで国民の自粛による対応を要請したことが挙げられる。自粛の内実は個々の国民の立場や意識により温度差があるからだ。
「他者への不寛容」は、そこに正義があると信じられれば歯止めが効かなくなる。普段とは異なる日常への不安や閉塞感、感染への恐れが、同調圧力と逸脱者への排撃を生むのか。今私たちが戦うべきは、ウイルスであって人ではない。ダイバーシティ浸透のためにも、強調しておきたい。

[日本経済新聞朝刊2020年6月1日付]
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