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ある日突然 人を失うことの傷

アスリートは国内外で頻繁に合宿を行い練習に励む。その際、思いもしない事故に巻き込まれることがある。1月もバドミントンの桃田賢斗選手が遠征先のマレーシアで交通事故に遭ったとの一報を聞き、驚くと同時に心身ともに負ったであろう深い傷のことが心配になった。心の傷が癒えるのには時間がかかるけれど、今後のさらなる活躍を祈っている。

夏合宿をともにした憧れの先輩がそこにはいなかった(筆者が早大2年時の箱根駅伝が終わった後の慰労会)

私は、箱根駅伝を目指していた早大2年の夏に大きな事故に接した。当時の早大競走部は東京の暑さを避けるため、冷涼な北海道東部のエリアで2週間の合宿を実施していた。コーチだった瀬古利彦さんが実業団のエスビー食品陸上部の監督を兼ねていたこともあって、学生と社会人と合同の合宿だった。

箱根駅伝メンバー入りの当落線上にいた私は、少しでも瀬古さんにアピールしようと意気込んでいた半面、連日の厳しいトレーニングで心身ともに消耗し、それどころではなかった。テレビや雑誌で目にするトップ選手と同じ場で切磋琢磨(せっさたくま)できるという高揚感が、疲れた体をかろうじて支えていた。そんな状態だった。

1984年ロサンゼルス五輪の1万メートルで7位に入賞した金井豊さんは同じ群馬県出身で、とりわけ憧れの存在だった。合宿中に一度だけ「出身が群馬なんだって? 箱根、走れるといいね」と声をかけてもらったのを鮮明に覚えている。テレビ画面や雑誌紙上で見てきたレース中の険しい表情とは全く異なり、物静かでとても優しい雰囲気だった。

悲劇は最終日に起きた。午前中のトレーニングを終え、空港までの道のりで車がセンターラインを越えて正面衝突し、選手ら5人が亡くなった。別の車で移動した我々はこの事故を知らずに羽田空港に降り立った。今思えば売店にはすでに事故の速報の新聞が売られていたけれど、特に気にも留めなかった。

突然、空港の片隅に合宿メンバー全員が集められ、瀬古さんから事故の事実を告げられた。あまりのショックに腰から崩れ落ち、その場にへたり込んでしまった。その日の朝まで一緒にいた人々が今この瞬間はこの世にいないのだ、という現実を到底受け入れることができず、しばらくぼうぜんとしていた。

2週間の合宿中、たった1日だけあった休みの日。それでも早朝に15キロメートルほどのランニングをしたあとで、学生と実業団のトップ選手が混合で野球大会を開いた。亡くなった金井さんらも苦しい練習を忘れ、童心にかえり無邪気に球を追った。あの楽しい時間と、直後に起こった悲劇が人生の同一線上の出来事だとは今なおにわかに信じられない。

あの事故から30年近くが経過した。あの日、事故車で運ばれていたトレーニングシューズやウエアが後日手元に戻ってきた。そこには激しい事故の惨状を物語る痕跡が残っていた。おびただしい血痕を目にすると何とも言えない思いに沈んだ。

夏が来るたびに亡くなった人々を思い、彼らの分まで精いっぱい生きようと繰り返し誓ってきた。感染症におびえる現在、事故だけでなくいつ命を落とすことになるかわからない。今日という一日を大切に、悔いの無いように過ごそうと改めて思っている。

(プロトレイルランナー)

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