ソニー、20年越しの社名変更 吉田社長がこめた思い

Bizレーダー
2020/5/28 2:00 (2020/5/28 4:20更新)
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ソニーが約60年ぶりに社名を変更し、2021年4月にソニーグループになる。傘下にエレクトロニクス、半導体、エンタメ、金融といった事業会社が入る体制への移行だ。起点は社内で持ち株会社構想が持ち上がった約20年前で、その時のキーマンの一人が現在の吉田憲一郎社長だ。「ウォークマン」など革新的な商品を世に送り出してきたソニーのファンにとっては、やや違和感のある社名変更と組織再編。そこにこめられたのは「エレキだけのソニー」ではなく、危機下でも生き残れる複合企業を目指すとの思いだ。

「ソニー本体に残っていたエレクトロニクスの要素を切り離し、本社はグループ経営に集中する」。吉田氏は今回の組織改編の狙いをこう説明する。「エンタメもエレキも横一列となり、グループとして人材やお金などの経営資源の配分を考える」。そのための社名変更という。これまで本社に属していたエレキ事業の間接部門を、テレビなどの家電を扱う中間持ち株会社ソニーエレクトロニクスに移し、同社の社名をソニーにする。「持ち株会社の子会社みたいな名前よりも、祖業を受け継いでいる『ソニー』の方がいい。ハードがソニーを作ってきた主役じゃないか、という思いもある」と明かす。

ソニーの歴史をひもとくと、今回の吉田改革の原型は約20年前に遡ることができる。

「ホールディングスの社名は『ソニー・クリエイティブ・マネジメント』でいこう」。出井伸之氏が最高経営責任者(CEO)を務めていた2000年前後。映画や音楽、金融など事業領域が多岐に広がるなか、ソニー内部では持ち株会社化が議論されていた。

当時もエレキ事業を手掛けるソニー本体がグループ全体を運営していたが、出井氏は「すべての事業分野を統合した戦略を描けなければ複合企業のメリットは生かせない」と考え、持ち株会社の傘下に各事業会社をぶら下げる体制を模索していた。ただ、03年4月に同年1~3月期の赤字決算を発表したことを発端に、日経平均全体が急落した「ソニーショック」が起こる。出井氏の求心力も低下し構想は実現しなかった。エレキ中心の収益構造で浮き沈みが大きく、他事業を育てる必要があったことや、「エレキとエンタメは別物」という意識が強すぎ、ともすればバラバラになりかねないという懸念もあった。吉田氏はこうした動きを社長室長などとして、リアルに捉えていた。

■「エレキ頼み」から脱却 共通理念作りも

吉田氏は構想の実現に向け、当時の反省を生かして手を打ってきた。1つ目がエレキ頼みからの脱却だ。子会社のソネット(現ソニーネットワークコミュニケーションズ)の社長だった吉田氏は13年、平井一夫前社長に本体に呼び戻されて経営に参画。平井氏とともにヒット商品の有無で大きくぶれる収益体質の改善に着手した。その結果は足元の新型コロナウイルスという危機時の業績でもみてとれる。21年3月期の連結営業利益の見通しは5900億円程度。エレキの営業利益が5~7割落ち込む見通しだが、全体の減益幅は3割にとどまる。ハードの売り切りではなく、ソフトなどで継続的に稼ぐ「リカーリング」と呼ぶビジネスモデルをゲームや音楽で確立したためだ。

2つ目は、持ち株会社にしても各事業の遠心力が働かないための意識変革だ。「クリエーティビティーとテクノロジーの力で世界を感動で満たす。ソニーの存在意義を定義したことが(社長就任後の)1年で一番重要だった」。吉田氏は19年5月、こう強調した。18年4月に社長に就任してから最優先課題として取り組んだのが企業理念づくりだ。「エレキもエンタメも共通の理念があれば同じ方向に進める」と考え、従業員の納得感があるものを作ろうと、多くの社員から意見を募った。半導体事業のあるエンジニアは「ビジョンがあることで、自分もグループの一員だという気持ちが持てる」と話す。

3つ目は12年からの構造改革とあわせて進めた分社化だ。テレビなどエレキの主要事業を分社化し、グループ経営になじみやすくした。今春には赤字が続くスマートフォン事業の子会社も傘下に収める形でエレキの中間持ち株会社を設立。分社化は経営の独立性やスピードを高められる一方、会社間の連携が課題になる。カメラとテレビの事業会社のトップに石塚茂樹専務と高木一郎専務という気心の知れた同期コンビを配置した。

■プラットフォーマーも事業を多角化

持ち株会社は米国のIT(情報技術)大手も採用している。グーグルは15年に持ち株会社のアルファベットを設立し、主力のインターネット事業などを手がけるグーグルなどを子会社として傘下に収めた。自動運転や医療などに事業領域が広がるなか、経営の透明性を高めながら先行投資がかさみやすい分野の継続的な取り組みを可能にする狙いだ。自動運転のウェイモがベンチャーキャピタル(VC)から資金調達するなど、外部資金を活用して技術革新のスピードも速めやすい。

とはいえ足元の時価総額はアルファベットの100兆円超に対し、ソニーは10兆円にも達していない。次の成長に向けたソニーの切り札の一つが金融事業だ。今回のソニーの組織再編のポイントは、金融事業を手掛ける中間持ち株会社ソニーフィナンシャルホールディングスの完全子会社化だ。米アップルは主力のスマートフォンのiPhoneを中心に、コンテンツ事業や金融にも事業を広げる。中国のアリババ集団は電子決済などの相乗効果を上げるため金融事業を拡大した。テック企業は金融を含めて事業領域を広げることで、サービス基盤を提供するプラットフォーマーとしての地位を高めてきた。

CFOの十時専務(右)はソニー銀行設立の立役者の一人だ

CFOの十時専務(右)はソニー銀行設立の立役者の一人だ

■「最後」のピース 金融事業も完全子会社化

ソニーにとっても製品などのハード、ゲームや音楽といったソフトを抱える中、顧客の「財布」に直結する決済までグループ内で一貫してできるようにする最後のピースとも言える。この決断の裏にもキーマンがいる。現在、ソニーで最高財務責任者(CFO)の立場で吉田社長を支える十時裕樹専務だ。吉田氏と同時にソネットからソニー本体に戻った十時氏は30代でソニー銀行設立の中心メンバーとなり、一度は頓挫しつつ01年に実現した。2人はソネットやソニー銀行などで顧客と中長期でつながるリカーリングの大切さを痛感。顧客との接点の多い金融の基盤も活用し、さらに進化させる考えだ。

一方で、ソニーの多様な事業構成を巡っては、ソニー株を持つ有力アクティビストのサード・ポイントが複数事業を抱えることで割安な株価につながる「コングロマリット・ディスカウント」に陥っていると批判。半導体や金融事業の分離を求めている。

ソニー創業者の井深大氏(左)と盛田昭夫氏(1984年)

ソニー創業者の井深大氏(左)と盛田昭夫氏(1984年)

「盛田(昭夫)さんが多様性の原点だと思っている」。吉田社長は20日、日本経済新聞の取材にこう振り返った。ソニーは1958年に東京通信工業から、商標だったソニーへと社名を変えた。「ソニー電子工業」など、エレキの会社であることを示す社名も候補にあったが「われわれが世界に伸びるためだ」と話し、ソニー創業者の一人の盛田氏はこうした案に反対した。現実にはソニーブランドはエレキが育てたが、エレキだけでは次の大きな成長が見込めないことも事実だ。今回の再編は、エレキにとどまらない「原点のソニー」を目指す決断でもある。(広井洋一郎、清水孝輔)

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