未来面「やり方を変えましょう。」

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 日本経済新聞社は、読者や企業の皆さんと一緒に日本の課題について考え、議論する「未来面」を展開しています。今期のテーマは「やり方を変えましょう。」 革新的なアイデアをお寄せください。企業のトップが選んだ優れたアイデアは新聞紙面や日経電子版で紹介します。

新型コロナが私たちに突きつけているものとは?
読者の提案 田中陽・日本経済新聞社編集委員

未来面
2020/5/25 2:00
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田中編集委員の提示した「新型コロナが私たちに突きつけているものとは?」という課題に対し、多数の投稿をいただきました。紙面掲載分を含めて、当コーナーでその一部を紹介します。

■持続的成長の契機

岡崎直裕(会社員、54歳)

新型コロナの影響で企業活動が止まった結果、確実に改善したものがある。それは環境汚染の改善だ。今まで進まなかったものが強制的にとはいえ、目に見えて改善したことで、いかに気持ちよく暮らせるのかを実感でき、将来のメリットを皆が実感できることになった。ニュースでは、当面の対策や経済活動の回復の話題ばかり議論されているが、自然環境を維持しつつ、人間が営み続けるために必要なことや、それを享受するためには、自粛も必要であることを、もっと示すべきではないだろうか。その結果、経済がV字回復にならなくても、持続可能な社会の実現のために環境を意識した水準での回復を目指してはどうかと思う。未来への議論として、コロナ前の状況と将来目指すべき社会の状況を示し、どちらの社会を望むか国民に問うべきだと考える。

■地方シフトのチャンス

柿崎紀明(会社員、66歳)

長年、世界のメガトレンドの一つとして「都市化」があったが、新型コロナウイルスはこの流れに疑問を投げかけているのではあるまいか。「都市化」は資本の集中投下による経済発展の恩恵は多いものの、「狭い住環境、混雑する通勤」、災害発生時の政治経済の事業継続性(BCP)のリスクなど多くの負の面もあり、何よりもう一つのメガトレンドの「高齢化社会」にやさしい自然環境ではない。5G通信の開始は、一極集中すべき理由は何なのかを冷静に考えさせてくれる。直下型大地震のリスクが取り沙汰される首都圏を脱出するチャンスでもある。首都移転は、長い間議論されているが進展が見えない。首都移転ではなく、機能分散でよいではないか。以前住んでいたドイツでは、国家機関が首都に集中せずに地方都市に分散していたが、国家として機能し発展してきた。国家機関も企業も分散する良い機会と考える必要がある。

■自由のもろさ

牧野佑哉(東京大学経済学部3年、21歳)

「自由は大事である」。平時には大半がそう言うだろうが、現在のコロナ禍の下ではどうであろう。そもそも、少し違う時代や場所に目を向ければ「自由」はそれほど絶対的、普遍的なものではない。それにも関わらず我々は自由は大事であるという命題を公理かのようにただ受け入れ、真剣に考えてこなかったのではないか。この命題が正しいとしても、その結論に至るまでに自由は本当に大事なのか、それは何故か、といった問いを深く考えることなしには、いかなる場合も損なわれてはならない自由の本質は見えてこない。その本質が社会で共有されていれば、非常時においても自由と「公共の福祉」の関係が大きな問題になることもなかったのではないか。本質を理解しないままにお題目のように唱えるだけならば本格的な脅威の前ではもろいものだ。今回のコロナ禍はそんな事実を我々に突き付けているように思う。

■社会問題は自分ごと

井上愛(会社員、33歳)

新型コロナが私たちに突きつけているもの、それは「社会問題を自分ごとにする」ことだ。環境問題、教育格差、進まない働き方改革など様々な社会問題がある。これらを自分ごととして積極的に解決しようとしていた人は、はたして何人いただろうか。なかなか進まない課題に対して、新型コロナは「君ら、自分らの問題を全然解決せえへんからオレが解決したるわ」と強制的に解決へ導いた。新型コロナによって、温暖化ガスの排出量は急減している。感染対策によって、オンライン授業が進んでいる。リモートワークも進み、より効率的な働き方ができるようになってきている。解決を後回しにしてきた社会問題も、新型コロナによって強制的に自分ごととなり、以前では考えられなかったスピードで、変革が着実に実行されつつある。結果として、社会変革が加速しているのだ。

【以上が紙面掲載のアイデア】

■本当に必要なもの

平林思問(会社員、40歳) 

「不要不急」を避けることは重要な対策の1つとなった。対象とされた業種では営業や事業の継続が困難に陥った。我々は「不要不急」に今までどれだけ恩恵を受けていたかを思い知るとともに、「不要不急」のものでもいかに継続的に活動していくかを考えていく必要ができたのではないだろうか。そもそも、本当に「不要」なのだろうか。文化、スポーツ、娯楽、レジャー、外食・・・。私たちがそれをなくして食べて寝るだけの生活だけを送ることは望んでいないだろう。しかし、反対に「不要」なものも見えてきたのではないか。毎日同じ時間に乗る満員電車。発言をしない会議の参加。宴会での無駄な食品の廃棄もあてはまるかもしれない。右肩上がりの経済成長で、「不要」なものを見ていなかったこともあるはずだ。新型コロナウイルスが私たちに突き付けているもの。それは、私たちが持続的な生活をするのに本当に必要なものは何なのか、ではないだろうか。

■失敗を乗り越えて

鵜飼信(会社員、37歳)

生命が脅かされる状況で失敗を肯定することは難しい。状況が危機的であればあるほど、人はただ一つの絶対的な正解を渇望する。そこに人間の根源的な弱さがあり危うさがある。新型コロナが人類に突きつけたもの、それは何よりもまず「可謬性」を受け入れる必要ではないだろうか。今回のコロナ危機で世界中の様々な国や地域が様々な対応をとった。その中には明白な失敗もあれば、時間をかけて成否を判定されねばならないものもある。いくつかの国や地域では今回のコロナ危機に先立って他の感染症への対応を誤り、そこから教訓を得てきた。危難の時こそ失敗を率直に認める潔さと、それを許す寛容が必要とされる。人は間違う生き物である。間違うことで学ぶ生き物である。その過程なくして人類のこれまでの発展はなかったし今後の存続もありえない。論語にも「過ちて改めざる、これを過ちという」とある。今こそ可謬性を人間社会の基本原則に据えるときである。

■人類への警告

小倉康希(東京都江東区立臨海小学校6年、11歳) 

新型コロナウイルスは人類のこれまでの怠慢なふるまいについて警告を突き付けている。いま新型コロナは猛威を振るっているが、人類のふるまいを見直す機会、考える時間を与えられたともいえる。実際、新型コロナの感染拡大で9月入学案や通勤混雑、環境問題まで、様々な意見がこれでもかと出てきている。コロナ騒ぎの前からこうした問題は指摘されていたが、見過ごされてきた。典型的な例が米ジョンズ・ホプキンス大学の報告書だ。この報告書は2年前に発表され、まさにコロナウイルスに対して注意を促していた。このように新型コロナは、今まで忠告があったにもかかわらず耳を貸さずにきた人類への警告だ。考える時間が十分にあるのは偶然だろうか。人類が怠けてよく考えなければ、また同じことが起きてしまう。ぼくたちもこの警告についてじっくり考え正しい答えを出さなければならない。

■当たり前の再定義

田中翔大(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部3年、21歳)

2020年1月1日、誰もがオリンピックの年だと思っていた。テレビは、新年が始まるや否やオリンピック一色となり、多くの国民が今年開催されるオリンピックに胸を踊らしていたはずだ。それからあっという間に5カ月がたち、メディアは新型コロナウイルス一色に。誰がこの状況を予測しただろうか。私たちは、普段の何気ない毎日をどこか当たり前であると、考えていたのではないだろうか。毎日電車に乗って学校に行くこと、毎日友達に会えること、毎日出勤すること。新型コロナが私たちに突きつけたもの、それは無常である。常に世の中は変化し得る。私たちが当たり前だと思っていた日常も変化し得るのだ。このウイルス禍を通じて、私たちの生活は大きく変化した。そして、さらに終息後も変化するだろう。その中で私たちがどう生きるかが問われている。私たちは社会の変化に応じ、常に変化していかなくていけない。

■Looking to the future

斎藤昇(会社員、30歳) 

新型コロナが私たちに突きつけているもの。それは誰かが示した意見や、正しいと思う事に賛同するだけでなく、自らの行動や意思について、深く考える必要性だと思う。毎日発表される新規感染者数や、都内のライブカメラから人出の様子を見て一喜一憂している人も、少なくないと思う。私もそのうちの1人だ。そう思えば、フェイスシールドを自作し、医療機関に寄付する方や、マスクを大量に寄付してくれた人達がいる。意思があり、考えて行動した方々だと私は思う。私は不器用で、材料も集められない。どこにどうやって寄付すればいいのかもわからない。SNSに意見や医療・物流や生活を支えてくれている方々への感謝を投稿することもせず、考えて一喜一憂していただけだ。だが、こうあるべき、すべきではなく、今、自分に何ができなくともどうありたいのか。自身と対峙し、未来を見据える事ができるのは、「今」なのかもしれない。

■メディア・リテラシーの重要性

八百板知里(駒沢大学グローバル・メディア・スタディーズ学部4年、21歳)

新型コロナウイルスは私たちに、情報を読み解く能力の欠如を突きつけている。感染拡大と共にデマが発生し、一時トイレットペーパーが品薄となった。以前も、熊本地震や北海道地震が起こった際、デマ情報は拡散された。このことから、いかに私たちが情報をうのみにしているかがわかる。私たちは義務教育の中で「メディア・リテラシー」というものを習わない。日本でもICT教育は進んできているが、主な目的としてはプログラミング人材の育成や、授業の効率化を図るためだと感じる。しかし、今後情報化がますます進んでいく中で、身につけるべき能力は、メディアからの情報をうのみにせず批判的に読み解き、正しく利活用する能力であるメディア・リテラシーなのではないかと感じる。SNSやインターネットなどのメディアが発達し、誰でも自由に意見が発信できる時代になった今、メディア・リテラシーを身につけることは欠かせない。

■コロナは教えてくれている

斎藤千起(国学院大学法学部2年、19歳)

時代が変わるときは、必ずしもいい出来事がきっかけとは限らない。それは、江戸時代から明治時代に変わる前、数々の戦で多くの犠牲があった。しかし、そのおかげで日本は明治という時代の幕開けとともに急激な成長を遂げた。それは、約75年前の戦争も同じだ。今、私たちに問われているのは、「人間の本質」ではないか。ここ2カ月で生活が一変し、仕事が忙しくなった人、家で自粛生活をしている人など様々だが、共通しているのは「人間には環境に順応する力がある」ということだ。たとえ環境が変わろうとも人は生き続ける。少し前の私たちは、このことを忘れていたのではないか。人間には変わる力が確かにある。ネガティブな情報が飛び交うこのご時世にも、雨は必ず止むように、必ず青く晴れた日が来る。コロナは「私たちに人間であること」を教えてくれている。

■「東京一極集中」へのリスク

手塚悟史(東京大学経済学部4年、21歳)

新型コロナウイルスによって日本の「東京一極集中」のもろさが露呈した。感染拡大を阻止するためのヒトの流れの抑制が首都圏の経済活動、ひいては日本経済への大打撃へつながることを恐れ、感染が拡大し始めた3月下旬に「様子見」を続けたために、リーマン・ショックを超える混乱状態へ陥る結果となった。これは人口と経済機能がともに首都圏へ集中していることが生んだジレンマだといえる。新型コロナによってリモートワークの活用が進んでいるが、実はこれが課題解決の大きなヒントになるのではないだろうか。リモートワークは場所を問わない。機能を分散できれば、ポートフォリオの考え方からいっても優れている。オンラインシステムの確立と同時に地方インフラを整備することで、地域の活性化と「東京一極集中」の解消が同時に見込める。当然、容易に進めることはできないが、今後、南海トラフ地震などで同じようなリスクが襲ってくる可能性は大いにあり、「東京一極集中」の見直しを迫られていることは間違いない。

■レジリエンスを育てる絶好の機会

小泉孝太郎(大阪大学経済学部1年、20歳)

新型コロナウイルスが突き付けていることは、「我々は逆境から立ち直る強靱(きょうじん)な力を有しているのか」である。そして、この力はレジリエンスと呼ばれる。現在、感染拡大により経済が停滞し社会は逆境に立たされている。また、コロナ鬱という言葉が生まれたように、我々の精神状況も不安定だ。しかし、こうした事態だからこそレジリエンスを育てる絶好の機会と捉えるべきなのだ。具体的な方法は2点存在する。ひとつ目は、感染拡大防止のために個人から集団、集団から社会へと連携の幅を広げていくということ。一人ひとりが当事者意識を持つことで連携の幅は自然と広がっていく。ふたつ目は、個人の精神的活力を高めるということ。制限された状況下で、いかに自分のパフォーマンスを向上できるか工夫することが重要である。そして、このふたつを基盤としたレジリエンスが、複雑で不確実な今後の社会を生き抜くための端緒になるのだ。

■リモートで教育に新しい風

小泉京美(大学教授、60歳)

新型コロナウイルスの影響で、IT音痴の私も六十の手習いでZoom(ズーム)を使い、大学で100人超えのオンライン授業を行っている。リモートならではの新しい体験を学生にさせるべくZoom機能を駆使すると、学生の授業への参加度が高まったのは新しい発見である。大教室で質問がないか聞いてもほとんどないが、オンラインになったら手を上げる学生が増え、授業終了後も残って質問をしてくる。聞く相手がそばにいないことや、顔が見えてもプレッシャーを感じる環境ではないのが理由の一つであろう。リモート信仰者ではないが、オンライン授業は意見を言いやすい環境を作るようである。新しい授業のやり方は、日本人の発言力を高め「NOと言える日本人」を作る可能性を秘めている。また、出張先でも授業が可能になり、補講で学生に迷惑をかけることもない。教育現場に新たな風が吹いてきた。追い風で日本の教育への変化を期待したい。

■私たちの夢は叶えられたのか

斎藤葵(大阪大学法学部1年、18歳)

新型コロナウイルスが突きつけているもの、それは人類が目指してきた未来の姿だと思う。この数カ月、私たちの生活は劇的に変化した。仕事や買い物、そして飲み会もオンライン上で済ませている。今春入学した大学も例外ではない。毎日小さな画面越しに教授や他の生徒と顔を合わせる。世界のどこにいても同じように仕事ができ授業に参加できる、まさに以前私が思い描いていた「未来」であった。しかし今、突然「未来」は訪れた。そして私はそれが不便で冷たく感じられた。近所の人や店員との何気ない会話も含め、直接人と会って話すことの重要性を痛感する。これまで人々は利便性や効率を求めてきた。現に私もそれを望んでいた。でも本当にそれが幸せなのか、大切にすべきことは何か、一度立ち止まって考えるきっかけが与えられているのだろう。今ならまだ方向転換ができる。一人一人が本当の理想的な未来を考え主張していくべきだ。

■自他の境界を引き直すとき

金井明日香(大阪大学法学部4年、22歳)

新型コロナウイルスは我々に「他」との関係の再構築を求めている。ここ数年、日本では「個」が強調されてきた。「ひとり○○」が流行ったことは記憶に新しい。ある意味、新型コロナウイルス感染症の流行は「ひとり○○」を楽しむのに絶好の機会となった。しかし、現実はその真逆を行った。人々は他人を求め、「オンライン○○」が流行したのである。自分のスペースを守りながら他者と関わることが可能になったために、煩わしいはずの「他」が消滅し「自」という意識の中に取り込まれた。それと同時に、他者の目を意識しにくくなったのも事実である。マスクの買い占め、食料品の転売など「自分良ければ全て良し」という意識が顕在化した。自他相互のかかわりあいの中で形成される社会において、自という意識が肥大化することで、その境界が失われ、他という意識が排斥された。我々は、自他の境界を引き直し、関係を再構築することが必要ではないか。

■兼業サラリーマン

小山大輔(会社員、44歳)

新型コロナウイルスで影響を受けているのは、医療関連はもちろん、観光、航空、鉄道などの業界である。物流がなくなっていないのが少しの救いだが、第2、第3のコロナのような状況が来て、それさえもなくなることを考えると、自給率を高めて地産地消が必要になると考えられる。しかしながらローカル化を推進すると、グローバル化と反対の動きであるため、企業が継続できなくなる可能性もある。そこで企業は平常時は通常の業務をする一方、非常時は他業種の業務をする兼業化を進めてはどうかと考える。事前にサプライチェーン以外との連携を組んでいれば、非常時に仕事を失うことは避けられる。すでに観光業界と農業、米ヒルトングループとアマゾン・ドット・コムなどとの「従業員シェア」のように一部進めているところがあり、非常に有効だと感じた。もちろん安全第一のため、人命などに危険が及ばない範囲での取り組みとなるが、異業種交流が重要になると考えられ、一つの解としたい。

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