魯山人の「全て一流」迫る 足立美術館で新館記念展
文化の風

2020/5/22 2:01
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関西から多くの来館者が訪れる足立美術館(島根県安来市)は今秋開館50周年を迎える。これまで「日本庭園」「横山大観」「現代日本画」の3本柱だったが4本目の柱が加わった。明治から昭和を駆け抜けた異才、北大路魯山人の作品を展示する魯山人館がこのほどオープンした。開館記念展(6月30日まで)では書家、陶芸家、料理研究家など多彩な顔を持つ"美の創造者"の技に迫っている。

自由奔放な感性

枯れ山水や白砂青松の美しい日本庭園に囲まれた美術館の一角に、白壁がまばゆい平屋の新しい建物がある。4月に開業した魯山人館だ。足立美術館の創設者、足立全康氏は「絵も描きやきものもひねり、料理は一流の魯山人が好きだ。何をやらせても一流の彼こそ天才」と評し、200点余りの作品を集めた。現館長の足立隆則氏も収集を続け、所蔵品が約400点に達した。四半期ごとに模様替えを行い、常時120点程度を展示する。

開館記念展で初公開する作品には「書」の名品が目立つ。来館者の目をひき付けるのが、高さ1.7メートル弱、幅7メートル以上ある六曲一双の「いろは屏風」だ。「いろは」「にほへ」……と3文字ずつ力強く大胆に書き、最後に「て」を書いた後に残りの文字などを小さくつづる。意表をつく構成とおおらかな筆致が魅力だ。ほかにも端正な筆致で書かれた「畫禪(がぜん)」や、流麗な藍色の文字が白い器に浮かび上がる「そめつけ詩書花入」(陶芸)も初公開だ。

安部則男学芸部長は「魯山人は書に始まり書に終わる。『いろは』は晩年の集大成的作品で、感性のひらめきから一気呵成(かせい)に書いた。物事にこだわらず、自由奔放な彼の人間性がよく表れている」と解説する。

魯山人の書は実際、生活や芸術のベースになった。養父母の元で貧しい幼少期を過ごした彼は、10代の頃に書道コンクールに何度も応募し受賞を重ねる。賞金は画材の購入に充てた。書で培った自由自在の筆づかいと優れたバランス感覚は絵画や陶芸に生かされた。

例えば絵画作品「武蔵野」。富士の裾野に広がるすすき一本一本を柔らかい筆致で長短や濃淡を捉え、風にそよぐ武蔵野を叙情的に表している。金箔や金泥で器に絵を施した豪華な金襴手(きんらんで)「金らむ手津本」。曲線を描く葡萄(ぶどう)の蔓(つる)とらせん状の先端、実の一粒一粒を緻密に表現し、躍動感のある模様に仕上げている。

食器や花器の形やデザインの斬新さも魯山人ならではだ。「織部釉長板鉢」はまな板を緩やかに湾曲させたような形。「椿鉢(つばきばち)」は高さ約20センチのやや楕円の大鉢で、鮮やかな紅白の椿が外側だけでなく内側にも描かれている。花器では竹筒を斜めに切ったような「織部竹形花入」が面白い。

自然を手本に

「料亭『星岡(ほしがおか)茶寮』を開いた魯山人は『器は料理の着物』と語り、料理に合う形や色を考えて器を作り、お客を驚かそうとした」と話すのは魯山人に詳しい京都国立近代美術館の松原龍一特任研究員。「季節の花に合う花器も作り、お客をもてなす広間を総合的にプロデュースした」という。

こうした豊かなイメージと発想はどこから来るのか。師と言える人にはほとんどつかず独学だった魯山人。ヒントになるのが「自然美礼賛一辺倒」という言葉だ。「料理人として旬のものを使う意識があり、季節の移ろいや自然の恵みに敏感。自然を観察し、手本とした」(安部学芸部長)。自然そのものが「師」だったのかもしれない。

魯山人は毒舌による傲岸不遜のイメージが付きまとい、海外では人気だが日本では正当に評価されていない面もある。国内有数のコレクションをじっくりたどると、魯山人が繊細かつ大胆な技でひたすら美を追求した純粋な芸術家だったことがわかる。

(浜部貴司)

北大路魯山人

北大路魯山人

北大路魯山人(きたおおじろさんじん)
1883年(明治16年)京都生まれ。木版師・福田武造の養子となり、木版を手伝いつつ書、篆刻(てんこく)の腕を磨く。1904年、日本美術協会主催の美術展覧会で褒状一等二席。13年ごろ、竹内栖鳳ら日本画壇の画家たちと交流。25年、東京に会員制高級料亭「星岡茶寮」開業。27年、北鎌倉に星岡窯(せいこうよう)を構え作陶を本格化する。54年、ロックフェラー財団の招きにより欧米で展覧会。55年、織部焼の人間国宝に指定されるが辞退。59年、肝硬変で死去。享年76歳。
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