共生の土壌、外国人輝かす 岩城あすかさん
関西のミカタ 箕面市立多文化交流センター館長

関西タイムライン
2020/5/20 2:01
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いわき・あすか 1974年大阪生まれ。大阪外国語大卒。トルコ留学中、99年発生のトルコ地震で復興支援などに関わる。帰国後の2005年に箕面市国際交流協会の事務局長に。現在は同協会の総務課長と市立多文化交流センター館長を兼務。

いわき・あすか 1974年大阪生まれ。大阪外国語大卒。トルコ留学中、99年発生のトルコ地震で復興支援などに関わる。帰国後の2005年に箕面市国際交流協会の事務局長に。現在は同協会の総務課長と市立多文化交流センター館長を兼務。

■韓国、ベトナム、メキシコ、アルメニア――。日替わりで各国の多様な家庭料理を提供するカフェが大阪府箕面市にある。市立多文化交流センター(20日まで休館)内の「comm cafe(コムカフェ)」。厨房に立つのは地元に住む外国人の主婦や学生らだ。ユニークな形で国際交流を進めるのが同センター館長の岩城あすかさん(45)。歴史的に多くの外国人と共生してきた関西ならではの経験やノウハウを全国で共有しようと訴える。

両親が高校教師をしており、小学生の頃から教え子たちがよく自宅に遊びに来ていた。中には在日コリアンの生徒もいて、国籍を超えた付き合いは子どものうちから当たり前のことだった。

大阪外国語大(現大阪大)に入学し、サークル活動で外国籍の子どもに勉強を教えた経験が自分の原点になっている。特に熱心に関わったのが中3の生徒。卒業後は働くと言っていた子が、じっくり話を聞くうちに「本当は高校に行きたい」と打ち明けてくれた。アルファベットのbとdの区別さえできない状態から何とか高校に合格できた。

それなのに、せっかく入った学校を中退してしまう。親や周囲に子どもの勉強をサポートする雰囲気が全くなかった。ボランティアで勉強を教えるだけではどうにもならない社会的な問題を感じ、日本で暮らす外国人の境遇について考えるようになった。

■トルコに留学し、勉強の傍ら通訳などをして働く。2001年末に帰国後、現地で出会ったトルコ人男性を日本に呼び寄せて結婚。日本で2人暮らしを始めた。

夫は当初、日本語が全く分からなかった。バスにも乗れず、買い物に行っても塩と砂糖の区別ができない。明るい性格の彼が「5歳の子どもに戻ったみたいだ」と落ち込む姿を見て、マイノリティーの生きづらさを間近で感じた。

05年に箕面市国際交流協会の事務局長の公募に手を挙げて採用されたが、働き始めて非常に驚いた。活動内容を決めるのはいつも日本人スタッフ。大阪大などが近く留学生やその配偶者らが多く住んでいるのに、そうした人々の意向が反映されていなかった。

全市民にアンケートを行ったところ、外国人住民が「居場所がほしい」というニーズを抱えていることが分かった。特に留学生の配偶者は、パートナーの留守中や子どもの登校中に孤独を感じがち。パートで働こうとスーパーに電話しても「日本語がもう少しできるようになってから連絡して」と断られてしまう。

そんな人たちの居場所をつくろうと10年度から、地域の外国人がシェフとして家庭料理を提供するカフェを始めた。外国人が主役となってチャレンジできる場所は少ない。これまでに二十数カ国の出身者がシェフを務めた。得意料理に腕を振るって自信を取り戻し、日本語もどんどんうまくなる姿を見てきた。

コムカフェのスタッフら(2015年)=岩城さん提供

コムカフェのスタッフら(2015年)=岩城さん提供

■協会スタッフも外国人が多い。韓国、中国、モンゴル、ロシア、ベラルーシなど様々な国の人が働く。

国籍、宗教、世代が異なる者同士。価値観は様々で、仕事の進め方などを巡って衝突することもよくある。そんなときは、それぞれが少しずつ我慢するのが大事。誰かのやり方に合わせるのではなく、皆が面倒なことを引き受けるのが本当の共生だと思う。

企画段階から当事者を入れて意見を聞く。短期間で異動する行政職員だけでなく、腰を据えて付き合えるスタッフを置く――。外国人支援にはノウハウがある。

関西はもともと在日コリアンが多く住み、インドシナ難民や外国人労働者も多く受け入れてきた。国を挙げて外国人労働者の受け入れにかじを切った今、異文化と共生する経験やノウハウを全国の自治体などと共有することが大事だ。(聞き手は覧具雄人)

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