賛否渦巻く「9月入学」、今年度は「実質11カ月」案も

日経ビジネス
2020/5/20 2:00
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日本教育学会長の広田照幸日大教授(中)らは9月入学の拙速な決定を避けるよう政府に求めた(11日午前、文部科学省内)

日本教育学会長の広田照幸日大教授(中)らは9月入学の拙速な決定を避けるよう政府に求めた(11日午前、文部科学省内)

日経ビジネス電子版

新型コロナウイルスの感染拡大で休校が長期化する中、学校の入学や始業を9月にする「9月入学」を巡る議論が本格化してきた。学習の遅れを少なくし、海外で主流の秋入学に足並みをそろえるメリットがある一方、多くの課題が指摘される。政府・与党は2021年以降の導入もにらみ慎重に議論を進める構えだ。当面の対応として今の学年を今年6月から実質11カ月とし、来年の入学時期を5月に1カ月遅らせる案も浮上している。

「9月入学も有力な選択肢の1つだろう。前広に検討していきたい。もちろん拙速な議論は避けなければいけない。しっかりと深く議論をしていきたい」

14日の記者会見。安倍晋三首相は学校の入学や始業時期を9月にずらす「9月入学」について、検討を進める考えを重ねて示した。

欧米や中国など海外では秋入学が主流だ。実は日本でも明治時代に9月入学の時期があった。国の会計年度を4月からに切り替えたことなどから、大正時代にかけて4月入学に移行した。

■有志知事17人が政府に検討を求める声明

かつて行われていた9月入学への移行は政府などが過去に何度も検討してきた。欧米諸国などに足並みをそろえ、留学生や研究者らの行き来を増やそうという「教育の国際化」を求める声が高まったことが主な理由だ。だが、そのたびに実現しなかった経緯がある。

中曽根康弘内閣の1987年、当時の臨時教育審議会は秋季入学について「大きな意義が認められ移行すべきだ」としながらも、「意義と必要性が国民一般に受け入れられているとはいえない」と先送りを提言。その後議論は立ち消えとなった。

第1次安倍政権時代の2007年には教育再生会議が9月入学の促進を提言した。また東京大学は11年に秋入学導入を本格的に検討。だが、高校卒業後に空白期間が生まれることなどを理由に学内外から強い反発を受け、断念した。

浮かんでは消え、を繰り返してきた9月入学構想。それが今、再び注目を集めているのは、新型コロナウイルスの感染拡大に伴い臨時休校が長引き、予定される年間の学習内容をこなせない恐れや再開時期の違いによる学力格差の拡大を懸念する見方が強まっているためだ。

留学の増加や外国人材の採用などを活発化させ、長年の課題だった人材の国際化につなげようという狙いもある。

先に声を上げたのは地方自治体の首長だ。4月末に有志知事17人が政府に検討を求める声明を出し、その後全国知事会が緊急提言を発表。発信力のある東京都の小池百合子知事は「教育システム、社会システムを変えるきっかけにすべきだ」と訴え、大阪府の吉村洋文知事も「9月入学はグローバルスタンダードだ」と強調し、世間の耳目を集めた。

こうした流れを受け、政府、与野党が9月入学導入の利点と課題、社会的影響などについて議論を進めている。

政府・与党のこれまでの議論では、今年9月の開始見送りは既に固まっている。十分な準備期間が必要なうえ財源の確保など課題が山積しており、短期間のうちに切り替えれば、教育現場をはじめ社会全般に混乱が生じる恐れがあるためだ。

自民党は21年以降の導入をにらんでクリアすべき課題を整理。現状から大きく制度を変えない場合の対応策も含む幾つかの選択肢を今月末にもまとめ、政府に提言する方針だ。その後、政府で具体的な検討を進める見通しだ。

文部科学省などは21年9月の入学とする場合、今の学年を5カ月間延長し、17カ月とする案などを検討している。進級や卒業を5カ月遅らせることで学習の遅れを取り戻しやすくなるためだ。高校や大学などの入試日程を後ろにずらせば受験生の準備期間を確保できる。留学や外国人材採用など国際化対応に追い風になることもメリットに挙げられている。

■家庭負担増、計3兆9000億円に上るとの試算も

一方、対応すべき課題は広範にわたる。小学校入学を9月にずらせば義務教育の開始が7歳5カ月からとなる子どもが出て、世界的にも異例の遅さとなってしまう。

さらに、21年9月に入学する小学1年生は、20年度中に6歳になる子に21年4~8月に6歳になる子も加わり、通常の約1.4倍の人数に膨らむ計算になる。教室や教員の確保が必要になるほか、幼稚園や保育園の受け入れ体制や待機児童対策も難題となる。

学習期間が延びた5カ月間の追加負担問題も浮上する。文科省の試算では小中高校生の家庭分の総額で計2兆5000億円になり、大学などの高等教育段階では計1兆4000億円。小学校から大学などまでで計3兆9000億円に上る。企業の新卒の秋採用や通年採用への対応が進まないと、就職に影響が及ぶ可能性もある。

さらに私立学校では移行期の5カ月間授業料収入が途絶えると、経営に大きな打撃となるのは必至だ。国による財政支援や資金繰り対策などが不可欠となる。

こうした点を踏まえ、経団連など経済界から国際化対応の一環として賛同の声が上がる一方、教育関係者などから慎重な対応を求める声が相次いでいる。

教育学者らからなる日本教育学会は5月11日、移行期の5カ月間に私立大学だけで総額約1兆円の学費を失うとして9月入学の導入に慎重な議論を求める声明を発表。公立小学校の校長が参加する全国連合小学校長会も14日、「学校再開時の諸課題の解決や第2波への体制作りと並行して議論するべき内容ではない」として、新型コロナに一定の収束が見られた後に時間をかけた議論を求める意見書を文科省に提出した。

では、議論の方向性を左右する政府・与党内の雰囲気はどうか。端的に言えば、一部の積極論者が「長年の懸案にけりを付けるチャンスだ」と9月入学導入を後押しする一方、議論が急浮上した4月当時と比べ、政権内に慎重に着地点を探るべきだとの意見が広がり出しているのが実情だ。

■自民党内に広がる慎重論

「学習の遅れなどへの親御さんの心配は相当なものだ。でも、ただでさえ休校の長期化で子どもの学習に遅れが出る中、さらに半年ほどの空白を生むことへの懸念は根強い。仮に新型コロナの感染が再び拡大した場合、さらに学習格差が広がるだけでないのか――。中堅・若手議員の多くは、こんな地元有権者の反対・慎重論に直面している」

自民党のある当選3回議員は9月入学を巡る党内の空気をこう解説する。

20年度から始まる大学入学共通テストで英語の民間試験活用などが土壇場で見送られ、教育現場が混乱した経緯を踏まえ、信用が失墜した文科省が大改革の中心となることへの不安を口にする議員も少なくない。

こうした状況から、自民内では「首相らが9月入学移行に踏み込めば、一律10万円給付への急転換のときと同様か、それ以上に党内の首相と周辺への反発が強まりかねない」との声が漏れる。

もともと自民党の大半の議員は「所得制限無しで一律10万円の給付をすべきだ」と主張していた。それにもかかわらず、首相と岸田文雄政調会長らが減収世帯に30万円を支給する案で押し切ったところ、公明党の突き上げで補正予算案の国会提出直前に10万円給付に急転換。これを契機に首相の求心力は揺らぎ、その後の追加経済対策作りで自民党が主導する場面が増えている。

自民のベテラン議員は「このうえ9月入学問題の取り扱いを誤れば、首相官邸の力はさらに揺らぐだろう」と語る。

政権内の微妙な空気を踏まえ、政府・与党内では21年9月以降の導入案とともに、現実的な落としどころの模索も始まっている。有力案の1つとして浮上しているのが、9月入学は採用せず、今の学年の期間を今年6月から実質11カ月とし、来年の入学や始業の時期を5月へと1カ月遅らせる構想だ。

これは多くの学校で4~5月が休校となっていることを踏まえ、予定していたカリキュラムを練り直し、来年度まで2年かけて正常化を目指すという発想が根っこにある。

大学や高校などの入試時期も現状より1カ月程度遅らせることを想定している。関係者は「11カ月あれば、1年で必要な子どもの学習内容はほぼ確保できるだろう。入試時期も1カ月程度遅らせる対応にとどめ、子どもや社会全般への影響を最小限にしようというものだ」と話す。

文科省は15日、小学校・中学校・高校で予定していたカリキュラムを今年度中に終えることが難しい場合の特例として、最終学年以外の児童・生徒は、来年度以降の複数年度にわたる授業で遅れを取り戻すことを認めると全国の教育委員会などに通知しており、この案に呼応する動きにも見える。

今後まとまる与党案では複数の選択肢を示す見通しで、最後は安倍首相の政治判断に委ねられる。賛否が大きく割れるテーマだけに、どんな結論になるにせよ、明快な説明と政権挙げての丁寧な対応が求められる。

(日経ビジネス編集委員 安藤毅)

[日経ビジネス電子版 2020年5月18日の記事を再構成]

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