イチローとローズ 記録に透ける2人の人となり
スポーツライター 丹羽政善
講談の大名跡・六代目神田伯山を襲名する直前の今年1月、伯山が松之丞として最後に行った連続読みが「畔倉重四郎」だった。
13話目の「おふみ重四郎白洲の対決」では、多くの人を殺(あや)めてきた畔倉重四郎が大岡越前守を前に、さんざん根拠のない言い訳をした揚げ句、「証拠の品を見せていただきたい」と啖呵(たんか)をきり、証言するおふみに対しては、「嘘ばっかりつきやがってこの女」と罵る。
再び報じられたコルクバット疑惑
今風に言うなら、"息をするように嘘をつく"重四郎だが、先日、現役時代にコルクバットを使っていたという疑惑が再び報じられたピート・ローズ(レッズなど)も釈明を求められれば、さんざん告発者の人格を否定した揚げ句、こう言うだろう。
「証拠を持って来い!」

ローズが疑いをかけられたのは今回が初めてではない。
2001年には彼の長年の友人が、「バニティ・フェアー」という雑誌に、ローズがタイ・カッブ(タイガースなど)の大リーグ最多安打記録を更新した1985年にコルクバットを使っていたことを証言している。コレクターの手に渡った記録更新時に使用していたというバットは後年、X線検査が行われ、中にコルクが入っていることが確認された。その検証記事が出たのは2010年のことだが、ローズは2004年にシンシナティの地元紙に対し、こう言って疑惑を否定している。
「中にコルクが入っているかどうか、調べてみればいい。絶対に何も入っていない。もしも、俺の名前が書かれたバットの中にコルクが入っているというなら、ここに持って来い!」
2010年も今回も取材に応じていないローズだが、手がないわけではない。
今は自粛を迫られているようだが、3月まで月の半分はラスベガスのホテル内にあるお店でサイン会を開いており、客を装って近づくことはできる。もっとも、証拠を突きつけられたとしても彼なら言うのではないか。
「でっちあげだ。誰かにはめられた」
その手で彼に取材を試みたのは、イチローが日米通算ながら、ピート・ローズが持つ大リーグの最多安打記録(4256安打)に迫っていた2016年6月のこと。
拙著「イチローフィールド」に書いたエピソードと一部重複するが、あれはこれまでの中でも、もっとも印象深い取材の一つで、どうアプローチすべきか、逡巡(しゅんじゅん)に逡巡を重ねたことを覚えている。
サイン会場でアポなし取材
マネジャーにメールをしても返事はなく、携帯電話にメッセージを残しても折り返しはない。そんなとき、ラスベガスのサイン会場に行き、アポなしで取材をしてみれば、と教えてくれたのは友人の米記者だ。それはサインをもらう振りをして、いきなり質問をするという奇策だった。
あのとき、会場についてなお、どう切り出すか迷ったが、サインと一緒に言葉を入れてもらうこともできるというので、ちょっとしたきっかけになればと、彼の横に座って「何か、言葉を書いてほしいのか?」と聞かれたとき、「Catch me, if you can (俺を捉えてみろ、可能なら)と入れてください」と伝えてみた。

イチローが自身の記録に迫っている心情と、レオナルド・ディカプリオ主演で1960年代に実際に起きた小切手の偽造事件が映画化されたときのタイトルを掛けてみたが、そのニュアンスは伝わらず、次の瞬間、ローズはグワッと目を見開き、警戒心をあらわにした。
「なんだって?」
一瞬にして血の気が引いた。
そこで正直に記者であること、イチローが日米通算ながらローズの持つ大リーグ記録に迫っているので、話を聞きたいーーということを伝えると、素性にはもはや興味がなくなったようで、手渡したボールにサインをしながら、「何を聞きたいんだ?」と渋々ながら、取材を承諾した。
ところが、イチローが日米通算ながらあなたの記録に近づいていますーーと質問を始めると、ローズはそれを遮り、一方的に主張を始めるのみ。
「日本での安打をプロだからということで加えるのは、フェアではない。それなら、俺のマイナーでの安打数も加えろ。俺はマイナーで2年2カ月、プレーした。そのとき470本ぐらいヒットを打っているはずだ」
ローズの記録への異常な執着心
同じ土俵で比較しているのではなく、希代のバットマンによるイチロー評を聞きたかったのだが、聞き方を変えても、「イチローが日米通算で俺のメジャーとマイナーの安打数を足した数字を超えそうになったら、そのときにまた話をしようじゃないか」とはぐらかす。最後まで話がかみ合うことはなかった。
かといって、人嫌い、という感じではない。むしろ、初対面の相手にフレンドリーでさえある。しかも、よく話す。その軽さが、脇の甘さに通じるところがあるが、一方で強烈に感じたのは記録への異常なまでの執着心。一緒にするなと言いながらも、彼自身が一番混同し、耳をふさぐ。
これは、「日米合わせた記録とはいえ、生きている間にみられて、ちょっとうらやましいですね、ピート・ローズのことは。僕も(自分の記録を破られる瞬間を)みてみたいです」と話すイチローの感覚とは、あまりにも対照的だった。

では、その違いはどこから生まれているのか。ローズについて書かれた記事を読みあさったりもしたが、それをたどるにはあまりにもハードルが高い。
彼が現在、球界から永久追放された直接の原因は、レッズ監督時代の野球賭博だが、彼は自分のチームへの賭けを認めた上で、2007年3月に出演したラジオで威勢よくこう言い放った。
「私は毎晩、自分のチームが勝つ方に賭けた。なぜなら、自分のチームを信じていたからだ」
何が悪いんだ?とでも言いたげだが、これは全部うそ。ローズは毎試合、レッズの試合を賭けの対象にしていたわけではなかった。今日は勝てない、と思った試合には賭けていなかったことが明らかになっている。
一事が万事そんな調子で、いちいちコメントは、ファクトチェックを要する。よってもはやコルクバット程度では驚きもしないが、それでも彼を理解したいなら、イチローのこの一言で、十分かもしれない。
「ちょっと狂気に満ちたところがないと、そういうことができない世界」
さて、畔倉重四郎の話では最後、すべての悪事が明らかになると重四郎が、「俺は太く短く生きた。皮肉だなお前たち。後世に残るのは太く短く生きた悪党だってのはな。ハハハハハ。てめえたちの情けねえいまわの際のツラが目に浮かぶじゃねえか」と長広舌をふるう。
対して大岡越前守が、こう言ったという一言のみが、大岡裁きの中に記されているそうだ。
「さようであるか」