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岸惠子(5)泥棒と痴漢

戦後 忘れられない優しさ オンリーさんらに助けられる

敗戦から1年ほどがたっていた。戦後の飢えや物資不足の中で日本人には肝の据わった強さや優しさがあった。そんな時代の忘れられないエピソードを書き留めたい。

学校帰りの夜道で痴漢に襲われた13、14歳頃

私が学校から帰ると家には必ず母が待っていてくれた。横浜で唯一焼け残った親戚が疎開先の九州へ住みついたので、庚台(かのえだい)にあったその家を父は仮住まいとした。空襲の傷痕は生々しく、庭にはまだ不発弾が突き刺さっていた。

ある日、学校帰りの私が「ただいま」と玄関を開けると珍しく母がいなかった。と同時に「泥棒!」と叫ぶ母の声が聞こえた。その家は幅広の緩やかな坂の上から3番目にあった。家から下は畑だった。そのあぜ道を母が夢中になって走っている。

「泥棒、お釜返して」

母の悲鳴の100メートルほど先に唐草の風呂敷を背負った男がつんのめりそうな様子で必死に逃げていた。泥棒を追う母を私が追った。ついに泥棒を取り逃がし、畑にへたり込んだ母が悔しがった。

「苦心して手に入れた白米のご飯を炊いたのよ。ピッカピカの白米よ。まだ蒸らしている最中だったのに」

親族に農家がない都会者が白米を手に入れるのは大変だった。母は私に真っ白なご飯を食べさせたかったのだ。

別のある日。小ぬか雨が降る夕方、野毛山の図書館から帰る私は木々の生い茂る暗い坂道で痴漢に襲われた。後ろからいきなり抱きついてきた男に教科書の詰まったカバンを振り回してあらがった。

「助けて!」

あらん限りの声で叫んだ。左右に振り回したカバンの勢いが余って、痴漢も私もぬかるみに足を取られ、滑って転んだ。相手は小男だった。私はさらに叫び続けた。先の泥棒事件からまだ間もない頃で私は13、14歳だった。

坂道には新築の家々が建ち、窓から明かりが漏れていたが、それらの窓は私がいくら叫んでも開かなかった。

突然、暗闇を走り寄ってきた大柄な若い女性が「こら、何をする」と痴漢の腕をつかみ、手に持ったフライパンを振りかざした。「あんなパンパンがいて風紀が悪い」と噂されていた黒人米兵のオンリーさん(私娼)だった。

私の叫び声を聞いて駆けつけてくれた彼女はぬかるみにはだしで仁王立ちになっていた。その時、戦後丸出しのトタン張りのひしゃげた小屋のドアが開き、背の高い黒人兵がゆったりと近づいてきた。

おびえ切った痴漢の腕をねじ上げ、ドスのきいた低い声で何かを怒鳴った。痴漢は貧相な顔を真っ青にして全身が波を打つように震えていた。

黒人兵はまた何かを怒鳴り、痴漢の背中を蹴飛ばした。「ひゅえ~」と悲鳴を上げながら痴漢は坂を転げ落ちるように逃げて行った。

「ホワイ?」

なぜ痴漢をそのまま見逃したのかといぶかしむオンリーさんに「状況はかなり違うけど、僕は戦場でああいうおびえ切った顔を見過ぎてきたんだ」というようなことを言って彼は肩をすくめた。その肩に戦争を体験してきた人間ならではの独特の哀れみの情が見えた気がした。

2人は夜になった暗い坂道を私の家まで送ってくれた。けれど、なぜか家の玄関には近づこうとしなかった。

「私みたいな者を見たら、お母さんがびっくりするよ」

2人は「バイバイッ」と手を上げて夜の中に消えていった。

(女優)

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岸惠子

女優の岸惠子さんは横浜市で生まれ育ち、戦時中には空襲に遭い九死に一生を得ました。高校時代、同級生と一緒に見学に行った松竹大船撮影所でスカウトされてデビュー。佐田啓二さんと共演した映画「君の名は」で一躍国民的スターとなります。フランス人映画監督イヴ・シァンピさんと結婚して渡仏してからも離婚や辺境への旅など波瀾万丈の人生が続きます。

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