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岸惠子(3)横浜空襲

防空壕を飛び出し助かる 「ここにいたら死ぬ」大人振り切り

空襲の朝、父はすでに出かけていた。母が湯船に張ってある水に羽根布団を浸し、私をすっぽりと包んで言った。

父と母と一緒に記念撮影(4、5歳の頃)

「山手公園のテニスコートに逃げなさい。曲がり角の松のところで待っていてね」

玄関でなく裏口へ走る母を私は悲鳴を上げて追った。

「お母さん、どこ行くの」

「お隣が留守で赤ちゃんがひとりで寝ているの。惠子は大丈夫ね。もしはぐれたら小学校の講堂に行くのよ」

青ざめた顔でニコッと笑い、12歳の私を置き去りにした母は敏しょうな小動物のようで美しかった。焼夷(しょうい)弾のすさまじいさく裂音が鳴り響き、鼻孔から胸まで焼けつきそうな臭気が漂っていた。

視界をザザーっとなぎ倒す爆風。そこここに飛び散る火柱。低く身をかがめて走る私にビショぬれの布団が重たかった。

逃げ惑う人たちが公園の土手を掘った急ごしらえの横穴の防空壕(ごう)に向かって殺到していた。私はその流れに逆らって走った。母は「公園に逃げろ」と言った。「防空壕に入れ」とは言わなかった。

公園の石段に若い女性が斜めに傾いて座っていた。防空頭巾が煙を吐いて焦げていた。喉が焼けるように痛い。声を出せずに夢中で肩を揺すると、硬い体が私の上に倒れてきた。鉛のように重かった。女性は目を見開いたまま死んでいたのだった。蝋(ろう)色の頬に焼け縮れた髪の毛がはっていた。死体の下で身動きができない私を腕章を巻いた若い兵隊が助けながら怒鳴った。

「おまえはこんなところで何をしている! 子供はみんな防空壕に入るんだ」

兵隊は母のぬれ布団を私から引きはがした。一部に火が付いて焦げていたのだ。

砂利道を引きずられ、放り込まれた防空壕は子供や大人たちでひしめいていた。土を掘ったままの暗い穴を見た瞬間、「ここにいたら死ぬ」と思った。止める大人たちを振り切り、私は地獄の中へ飛び出した。焼け焦げて熱くなった公園の道をバッタのように飛び跳ねながら走った。

母が言っていた公園の曲がり角の松に、なぜか私は夢中でよじ登った。木登りは得意だった。するとB29よりも小さな米軍機が地をはうような超低空飛行で機銃掃射してきた。私のすぐ傍を通り過ぎる時、機体の窓からパイロットの青ざめた横顔が見えた。

その瞬間、耳をつんざく轟音(ごうおん)が聞こえ、直撃弾を受けた私の家がふわんふわんと踊るように揺れながら燃え崩れた。お化けのように低いうめき声を上げ、ペチャンコに潰れてゆく家から我が家のかけらたちが飛んできた。

海外で仕事をしていた叔父がお土産にくれたビー玉のように美しい首飾りが砕け散り、私をめがけて飛んでくるような気がした。

「燃えろ、燃えろ」

私は呪文のように唱えながら松の木にしがみつき、恐怖でガタガタと震えていた。

隣家の赤ちゃんを抱いた母に会えたのは小学校の講堂に爆弾が落ち、炎や煙で息苦しくなった時である。もうもうとした煙の中から現れた母が私を見付け、泣きべそ色の笑顔になった。

防空壕にいた人のほとんどが爆風と土砂崩れで死んでしまった。大人の言うことを聞かずに飛び出した私だけが助かった。

「もう大人の言うことは聞かない。今日で子供をやめよう」と私は思った。

(女優)

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岸惠子

女優の岸惠子さんは横浜市で生まれ育ち、戦時中には空襲に遭い九死に一生を得ました。高校時代、同級生と一緒に見学に行った松竹大船撮影所でスカウトされてデビュー。佐田啓二さんと共演した映画「君の名は」で一躍国民的スターとなります。フランス人映画監督イヴ・シァンピさんと結婚して渡仏してからも離婚や辺境への旅など波瀾万丈の人生が続きます。

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