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岸惠子(1)横浜生まれ

海や花火 はしゃいだ日々 魅力に満ちた祖父と過ごす

1932年8月11日、私は父操、母千代子の長女として平楽という山手続きの高台に生まれた。家の周りの原っぱにレンゲ草が咲き、タンポポが群れ、まだ潮の香りが漂う海があった。

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青く光って、静かに広がっていた横浜の海。今は石油コンビナートなどで眺望が塞がれてしまっている三渓園の遠浅の海。引き潮の時、いとこたちとはしゃぎながら収穫を競い合った潮干狩り。採れたあさりで母が作ったお味噌汁のいい匂いを思い出す。

にぎやかで華々しかったのは花電車が出る夏祭りの花火大会。ずっどーんとおなかに響く打ち上げの音は、私に空に駆け上るような夢をくれた。いなせな着流しで祭りばやしに拍子をとり、人混みを踊りながら肩車の私を喜ばせた母方の祖父は、まだ若く剽(ひょう)げていて小気味よかった。

「ピーヒャララ、ヒャ、ヒャッ」。両手を空にかざして、幼い私も一緒に歌った。

この母方の祖父は三島(静岡県)の旧家出身である。長男ではなかったので「青い目の異人さんが乗ってきた船が見たい」と横浜へやって来た。沖仲仕(おきなかし)をしてみたり、菊作りの道楽があったり、元町にできた日本初のパン屋で出会ったフランスの領事を自宅に招いて宴会をしたりと、謎と魅力に満ちた人物だった。

お正月には自宅でよくカルタ会を催した。若かった私の父はカルタ取りの名人で、その姿に魅せられた母と結ばれたらしかった。父は実家のある厚木で教師をしていたところ人に推薦されて神奈川県庁に移っていた。

私は両親に連れられて行く山下公園の前に広がる海を見るのが好きだった。

「この海が終わる時、海水はどこにこぼれていくの?」

何でも不思議がる少女だった。海水はどこにもこぼれず、海や陸はつながっていて地球という丸い大きなものに乗っていると知って驚いた。その地球はもっと大きい、果てしない宇宙というものの中に浮いていると聞いて不思議な怖さに取りつかれた。

「果てしないって終わりのないこと?」

幼い頭がこんぐらかった。

ある日、旅行から帰った祖父は家に入らず、庭の井戸に直行した。「コンクールで優勝した菊や樹々には同じ地下の湧水が一番のごちそうだ」と言ってつるべを引き上げた時、うっとうめいて倒れたのだった。私の両親や祖母が体を押さえるほどもがき苦しんで夜半に息を引き取った。

翌日、うっすらとほほ笑んでいる祖父の顔を見て、私は裏切られたような悲しみに暮れた。「ピーヒャララ、ヒャ、ヒャッ」と小さな声で歌ってみた。祖父の顔は動かなかった。狭心症という病名だった。(おじいちゃんの「果てしない」は終わってしまったんだ)と思って涙があふれた。

41年に日本軍が真珠湾を攻撃して太平洋戦争が開戦。小学生の私は父の本家がある厚木(上荻野)に疎開した。

本家は江戸時代から何代も続く旧家で広大な屋敷だった。歴代の当主や家族が刻んだ歴史が色濃く潜んでいた。私はその歴史に取り込まれそうで怖かった。

父も長男ではなくもともと分家の身である。近くにあった父の弟の田舎家の方が温かい感じで私はそこに疎開した。横浜の日々は遠くなった。

(女優) 

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岸惠子

女優の岸惠子さんは横浜市で生まれ育ち、戦時中には空襲に遭い九死に一生を得ました。高校時代、同級生と一緒に見学に行った松竹大船撮影所でスカウトされてデビュー。佐田啓二さんと共演した映画「君の名は」で一躍国民的スターとなります。フランス人映画監督イヴ・シァンピさんと結婚して渡仏してからも離婚や辺境への旅など波瀾万丈の人生が続きます。

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