ルーキーたちへ 先回りは益なし、今できること全力で
サッカー解説者 福田正博
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中大を出た私が三菱重工(現浦和レッズ)に入社したのは平成元年(1989年)の春、バブル経済の絶頂期だった。就職は売り手市場で終身雇用、年功賃金といった日本的雇用慣行がぴかぴかに輝いていた。ドイツのボルシアMGへの短期留学なんて話も用意されていたくらい。
しかし、入ってみたら様子が違う。当時の日本リーグは秋春制で入社間もない89年4月、住友金属(現鹿島)に引き分けた三菱が初めて2部に落ちる試合を目の...
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