新型コロナ禍 文化の担う役割とは
文化の風

関西タイムライン
2020/4/24 2:01
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新型コロナウイルスの影響で多くの文化活動が中止を余儀なくされ、各国が文化支援を相次ぎ打ち出している。支援が手薄な日本の現状にアーティストらからは不満の声が上がるが、文化が社会と成熟した関係を築けていない日本の現状をあらわにしたという見方もできる。劇作家・演出家の岩崎正裕氏と京都大学大学院教授で文化政策が専門の佐野真由子氏に聞いた。

■京大大学院教授 佐野真由子氏「人間存在を支える基礎」

――コロナ禍によって見えてきたものはあるか。

「日本において文化は生活の付加的なものにすぎないと見なされているという現実があらわになった。文化支援が手厚い欧州の事例を引いて日本の状況を批判する声が多い。非常時の議論として私も同意する。ただ、欧州の制度をいかに輸入するかという議論では状況は変わらない。今後も『命と芝居』のどちらが大事かと迫られれば文化は後退し続ける。文化は人間存在を基礎から支えるものという見方への転換を促したい」

――社会と文化の関係を考えるための課題は。

「あえて欧州と比較するなら、歴史観の欠如ではないか。欧州では人類が積み重ねてきた歴史の結晶として文化があり、現在もいずれ歴史として検証されるという意識が強い。そうした背景があって、文化はアーティストや観客だけのものではなく、普遍の価値を持つという合意が共有される」

「日本の文化政策の出発点は明治維新の開国と外交にある。西洋にどう見られるかという視点で文化を定義する癖は現在まで根深く文化政策を基礎づけている。そこには正負両方の側面があるが、自ら歴史の上に文化を位置づけ社会を構想する力が弱いことは自覚しておきたい」

――文化が観光政策として扱われる場面も増えた。

「日本社会にとって芸術・文化とは何か、専門家以外にも共有される形でそんな議論があったのは、ギリギリ1970年の大阪万博の頃まで。その後は観光や福祉などの課題を解決する手段、『癒やし』『心の潤い』といった機能に矮小(わいしょう)化された。こうした論理は英国などから輸入されたもので、欧州にも同様の問題はあるが特に日本はバランスを欠いている。誰もが文化を明日のパンと並ぶ価値の軸とすることから議論が再出発できる。そこには演劇や美術といった狭義の文化・芸術にとどまらず、お祭りなども含まれるだろう」

■劇作家・演出家 岩崎正裕氏「演劇 多様な価値観提示」

――国内の文化全体が危機的な状況の中、公的支援は足りないように見える。

「文化が高級で非日常のものとされ、日常に必要という意識が根付いていなかったということ。演劇で言えば、啓蒙的な部分やサブカルチャー的なイメージが先行し、一般大衆の中に入ることができていなかったかもしれない」

「寓話(ぐうわ)のアリとキリギリスを思い出す。アリが働く間に楽器を弾いていたキリギリスは怠け者とされている。でも、アリだって働いている間にキリギリスの演奏に知らず知らず癒やされていたのではないか」

――岩崎さんはかつて、オウム真理教を題材にした作品を一連の事件後間もなく発表した。

「演劇界では震災を振り返る作品、感染症が広がる社会を予言するような作品など、時代ごとの危機に対して新たな視点を提供してきた。能に代表されるように、演劇は鎮魂という役割を通じて社会と関わり発展してきた歴史がある」

「各国が国境を閉じ、事態収束後も世界的にナショナリズムの意識が高まるだろう。演劇はそうした価値観の一面化が進む時に、多様な価値観を提示し対抗する力を持っている」

「現状では人が集まること自体がリスク。リアルな場に人が集まることで何かが生まれる演劇の本質が否定されている。そのことが演劇にどう影響するかは見えてこないが、関西には維新派など野外劇の豊かな蓄積がある。若い演劇人が柔軟な発想で新たな公演を生み出すだろう」

――関西演劇界の現状は。

「多くの劇団が打撃を受けたが、演劇とは別に仕事を持って活動する人が多く(公演中止で収入がなくなった演劇人が多い)東京とはやや状況が違う。深刻なのは公演再開まで収入がない音響や照明などの会社やスタッフ。事態収束後の公演再開のためにも、やはり手厚い支援は必要だ」

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