長浜の三セク・黒壁30年、町衆の自治 にぎわい導く
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2020/4/23 2:01
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北国街道と大手門通りの交差点に立つ黒壁ガラス館の建物は1900年に完成した

北国街道と大手門通りの交差点に立つ黒壁ガラス館の建物は1900年に完成した

滋賀県長浜市のまちづくり第三セクター、黒壁が設立から30年を超えた。民間主体でガラス工芸品の展示や講座を始め、寂れた旧市街地を年間200万人が訪れる観光地に再生した。にぎわいを導いたのは豊臣秀吉の時代から培われた町衆のDNAだ。来街者の伸びに陰りがみえるいま、次の30年の未来図を描こうとしている。

北国街道と大手門通りが交わる場所に立つ黒壁ガラス館。1900年に完成し「黒壁銀行」と呼ばれた長浜のシンボルだ。ここを中心に城下町だった古い街並みが広がり、黒壁の直営店とグループ店の計24店が点在している。いまは新型コロナウイルス感染拡大防止のため直営10施設が臨時休業中だが、2019年度は213万人が訪れた。

旧市街地の再生の起点もこの建物だった。1987年に建物の売却と取り壊しが決まった。「1時間に通行するのは4人と犬1匹」と報告されるほど、郊外の大型店ににぎわいを奪われていた。街崩壊の危機感が高まり、30~40歳代の地元経営者らが主導し、長浜市からも資金を引き出して黒壁を設立した。

「とにかく買い取った。活用方法が課題になり、初代社長になる長谷定雄さんが『ガラスがブームやな』と提案した」。当時を知る黒壁の高橋政之社長(高橋金属会長)は振り返る。JR新快速の長浜延伸や長浜バイオ大学誘致に取り組む「ながはま21市民会議」の結成などで、一体感が高まっていた時期だった。

89年にガラス工芸品を展示販売するガラス館など3店をオープンした。単なる売り場ではなく、関連する文化講座を開いた。長浜の古い街並みに、文化や国際性、歴史を感じさせるガラスが映えた。まちづくりに賛同する店も認定し、点から面に広がっていった。

■民間主体で集客

来街者は増え続け、13年目の2001年に200万人を初めて超えた。05年には海洋堂フィギュアミュージアムを誘致。女性や若者が中心だった客層は家族連れに広がった。経済効果は年間100億円を超えると試算された。

まちづくりの成功の理由は何か。行政主導の建物保存は博物館や美術館への転用になりがちだ。民間主体の黒壁は人を集める仕組みをつくれた。彦根城のような拠点はないものの、街全体にタイムスリップしたような風景が広がる。

長浜市学芸専門監の太田浩司さんは「曳山祭りに象徴される、歴史的に形成された町衆のアイデンティティーが背景にある」と指摘する。江戸時代に長浜城が廃され、長浜は彦根藩領となった。経済都市として自治を認められたが、政治都市の彦根への対抗意識が強まった。例年4月にある曳山祭りは今年、10月に延期された。舞台をつけて子供歌舞伎を盛大に演じる曳山は全国でも珍しい。

■魅力ブランド化

まちづくりの成功事例にも転機が訪れている。来街者が200万人を割ることも増え、停滞感が漂う。新しい戦略を探るため、博報堂出身でマーケティングに精通する進(しん)晴彦専務を18年に採用した。

進専務はオンラインショップの強化を打ち出した。ガラス工芸品や生活雑貨、地域特産品の3つのブランド展開も決めた。「長浜の魅力は文化を感じられる心地いい空気。首都圏では一般に浸透しておらず、オンラインショップはPRの強力なツールになる。ブランドの整理で魅力を分かりやすく発信できる」と話す。

設立時と2度の増資で民間から合計3億5000万円を集めた黒壁は、これまで一度も配当を出していない。「配当はまちのにぎわい」(高橋社長)だ。連綿と受け継がれた町衆の誇りは次なる時代の跳躍を目指す。

(木下修臣)

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