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オムロンを世界企業に 立石義雄元社長死去

2020/4/21 20:37 (2020/4/22 6:06更新)
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立石義雄 オムロン名誉顧問  

立石義雄 オムロン名誉顧問  

お会いするたびに柔らかい温顔で迎えてくださった。いつも元気で覇気があった。「妻の手料理が健康の源」と話していた。

創業者の父、一真氏の三男で、1987年に立石電機(現オムロン)の3代目社長に就任。同社を世界企業に押し上げ、90年には現社名に切り替えた。父の代からの経営の合言葉は「ソーシャルニーズの創造」。

社会や国民が求める便利さ、快適さ、効率の良さといったニーズに応えるのではなく、先取りして製品やシステムを世に送り出すのだ。駅の自動改札システムをはじめ同社には「世界初」の冠が付くものが少なくない。

旧国鉄の大阪環状線に自動券売機を導入した際のこと。始発電車が動き出したのに、機械の調整が間に合わなかった。やむなく社員が券売機の下の口から切符を乗客に手渡しした。「自動やなく手動やな、とあきれられました」。社員を叱ることなく笑い飛ばした。

社長就任後は海外展開を積極的に進めた。欧米やシンガポールに統括拠点を置き、各拠点が現地の文化に溶け込みつつ自律して事業を進める体制を整備。91年に本格進出した中国では健康機器などの工場を次々と設け、94年には日本のメーカーとしていち早く持ち株会社の認可を受けた。「世界に先駆ける」を常に意識していた。

2003年に会長に就任。07年から今年3月末までは京都商工会議所の会頭として、京都活性化のための施策も次々に打ち出した。

京商など経済4団体がそろって入居する京都経済センターを創設。30年後の京都のあるべき姿を描く「京都ビジョン2040」をオール京都で策定し、強くて個性的なベンチャー企業育成を狙う「京都知恵産業創造の森」を立ち上げた。

京都の5つの花街の振興を目指す公益財団法人、京都伝統伎芸振興財団(通称おおきに財団)の理事長も務めた。花街は別名「夜の商工会議所」。「昼も夜も会頭やな、と冷やかされるんだ」と苦笑いしていた。

息子3人、娘ひとりで孫が10人。ファミリーの話になると温顔がますます優しくなった。突然の終焉(しゅうえん)は無念だろう。(編集委員 中沢義則)

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