作家ママが提案 「子どもにはサバイバル能力を」

米国企業、日本のシンクタンク、フランスにある国連機関などに勤めた異色の経歴を経て、ノンフィクション作家として活躍する川内有緒(ありお)さん。バリキャリ派に見えて、「直感だけを頼りに次に進むべき方角を決めてきた」と話す川内さんは現在、保育園児の母親でもあります。親になっても「守りに入る」という言葉とは無縁な生き方を貫く川内さんが「子育ての方針」について考えます。
わが家には「白旗の少女作戦」がある
正直なところ、うちの子育てはかなりテキトーである。「テキトーなことが子育て方針です」というのが本音だが、それじゃあやっぱりダメだろうな。アグネス・チャンさんみたいに、息子3人が立派になりました! みたいな結果があるならまだしも、娘はまだ5歳で、「テキトーな子育て」の結果は未知数だし。
いやあ、参ったぞ……と悩んだ揚げ句思い出した。
そうだった、わが家には「白旗の少女作戦」があるじゃないか!
「方針」というにはもはや日常に組み込まれ過ぎていて、長いこと忘れてしまっていた。その具体的な目標としては「6歳までに自分でお弁当を作れるようになる」である。
えーと、皆さん『白旗の少女』ってご存じですか?
1989年に出版された本で、太平洋戦争末期、激戦地の沖縄で実際に起きた話だ。私は娘を出産した2週間後にこの本を読み、ぐわわわーん!という効果音が脳内に響くほどの衝撃を受けた。
薦めてくれたのは、夫・I君。ある日、雑談する中でこの本のことが話題に上がったものの、私は本のタイトルすら知らなかった。
「えええ、ほんとに読んだことないの? 今すぐ読んだほうがいい」とI君は言い、すぐに買ってきた。
慣れない育児で私はヘトヘトだったが、1ページ目を開いた後は、もうノンストップ。途中で娘に授乳をしたりしながらもぐんぐん読み進み、最後は激しく嗚咽(おえつ)しながら本を閉じた。

これは、とんでもない本だぞ……。
子育てする人は全員読んだほうがいい!
私はI君に激しく感謝しながら、「娘には、『白旗の少女』のようになってもらいたい!」と興奮気味に伝えた。川内家の「白旗の少女作戦」が立ち上がった瞬間である。その目指すところは、この世の荒波を自力でサバイバルできるようになることだ。
7歳の少女のあまりのたくましさに胸を打たれた
えーと、ここでもうちょっと詳しく本の内容を説明したい。
この物語の著者であり主人公の比嘉富子さんは、沖縄戦が勃発した当時、お父さんと姉・兄の3人を含む計5人で暮らしていた。畑に出るお父さんのためにお弁当を作るのは当時6歳の末っ子、富子さんの仕事だ。
ある日、戦況が激しくなる中、お父さんは「万が一自分が家に帰らなかったら、一人ひとりが自分で考えて行動しなさい」ときょうだいに告げる。ある日それが現実になり、きょうだいは家を離れて避難を始めた。しかし、その混乱のさなか、富子さんはお姉さんたちとはぐれてしまう。
それからが、ものすごい。激しい爆撃の中で、7歳の少女によるたったひとりの逃避行が始まるのだ。崖から落ちたり、兵士に殺されそうになったりと何度も命の危機に遭いながら、水辺を探し、畑に植わった生の野菜を食べ、缶詰を拾い、草の汁を吸う日々。そして、何十日間もたった後に……。終戦を迎え、富子さんは生還する。タイトルの「白旗」は、富子さんがひとりで投降するときに掲げていた旗から取られたものだ。
読みながら、私は7歳の少女のあまりのたくましさと優しさに胸を打たれ続けた。
そうだ、そうだよ! この先は何が起こるかなんて誰にも分からない。戦争とまではいかなくても、長い人生の間には大災害やら事故やら何が起こってもおかしくない。だから富子さんのように、どんな状況でも生きられる能力こそが大切じゃないか。親としては、できる限り、そのサバイバル能力を娘に授けてあげなくては、というのが新米ママ、私の固い決意だった。
富子さんの驚異のサバイバル能力の原点は、小さい頃に覚えた「家事」にある。そう気がつくと、まずは身の回りのことから始めよう!と思いたち、まずは「一緒に家事をする」ということにトライしはじめた。
幸いにして、娘は3歳の頃から既に「おてつだい」大好きな子だった。私やI君が掃除や料理をしていると、「おてつだいしたーい! はやくやりたーい!」と大騒ぎが始まる。
ちなみに私の母は料理はプロ級に上手だが、同時にめちゃくちゃ完璧主義で、「おてつだい」にも常に完璧が求められた。そして、何かミスをすると「なんでこんなこともできないの」と強く叱責された。それが嫌で、私は成長するに従いむしろお手伝いから逃げ続け、大学を卒業するまで料理の一つもできなかった。よおし、うちの母の二の舞いは踏むまい!
ドラクエにチャレンジするがごとく、掃除や洗濯をマスター
最初はゲーム感覚でやれるものとして、「洗濯物の分類」から始めた。洗濯物の山を前に、「はい、この中からタオルを見つけて」「次は自分の服を見つけてみて」と娘に頼む。それがうまくいったら、今度は一緒に畳み、最後はしまう。ポイントは、タスクを細かく分類し、達成感を出すこと。そして、出来栄えにはこだわらず「わあ、助かるなあ、ありがとー」と褒めちぎることだ。すると、娘はすぐに調子に乗り、「もっと教えて」とさらに高度なことに挑戦したがった。
こうして娘は、ドラクエにチャレンジするがごとく、着実に掃除や洗濯をマスターし、4歳になる頃には「お料理がやりたいよお!」と言い出した。しめしめ。
今のところ料理に関しては、お米をとぐ、炊飯器のスイッチを入れる、ハンバーグを丸める、キュウリを切る、おかずを盛り付ける、というあたりまでは進んだ。しかし、さすがに「お弁当作り」はなかなか遠い道のりなので、これからも作戦の遂行は続く。
同時に、独自に進めてきたのが、セルフビルドの小屋を建設する「小屋プロジェクト」だ。これももちろん娘のサバイバルスキル構築の一環である。
創作意欲はエスカレートし、小屋づくりを決意
きっかけは、娘のための机作りだった。
ある日私は、娘がおままごとやお絵描きをするための小さな机を探していた。だが、気に入ったものが見つからず、自分で作ることにした。材木を切り、組み立て、ペイントすると、それなりに満足するものが出来上がった。
やがて、創作意欲はエスカレートし、「そうだ、せっかくだから自分でなんでもつくれるほうがいいよね」と思い、小屋づくりを決意。娘が3歳のときには、山梨県に住む友人の土地を借りる約束を取り付けた。
実際にやってみると分かるが、「小屋づくり」は素人には、か・な・り・難しい。「机」とは異次元なレベルで、日々、困難や失敗の連続である。
なんとかこの2年で、基礎打ち、壁造り、建前、屋根張り、ウッドデッキ、コンポストトイレづくりなどをクリア。その一連の作業の中で、娘もコンクリート打ち、家具作り、ペンキ塗りなどに参加してきた。おかげで娘は4歳にして、インパクトドライバーもペンキ用ローラーの使い方も理解している。
もちろんこれが、娘の人生にどんな影響を与えるのかは全く分からない。しかし、小屋プロジェクトは、親である私たちにとっても困難の連続であるだけに、完成した暁には、娘が人生の困難を切り開くヒントになるのではないか、という勝手な願いを抱いている。
ええ、我ながら理論の飛躍が甚だしい。まあ、少なくとも家族のいい思い出くらいにはなるだろう。それだけでも十分だ。
それはさておき、「白旗の少女作戦」の本番はここからだ。
考えてみよう。18万人という人々が亡くなった地上戦の中、なぜ7歳の富子さんが、ひとりっきりで生き残れたのか。それは、単なるサバイバルスキルのおかげではない。
過酷過ぎる日々の中で、富子さんは以下のようなお父さんの言葉をたびたび反すうしている。それは――。
――富子、人のまねはするな。いつも自分の頭で考えなさい――
まさにこれだ。これが、生死を分けたのだ。自分で考えて、行動する、与えられたオプションの中から選ぶのではなく、自分の力で何かを生み出す。自分のことを信じる。それこそが、「白旗の少女作戦」の目指す領域である。
しかし、それには、大きな障害物がある。
実は、私だ。

今ぎゅっと強く握っているその手を離すこと
ここまで文章を読んだ方々は、私がそれなりの節度と厳しさをもって娘に接しているように感じたかもしれないが、現実はその真逆。最初に言った通りに、私の子育てぶりは実にテキトー。いや、さらなる真実を言えば、不妊治療を経て42歳で授かった子どものせいか、自分にとって娘はもう本当に目の中に入れられそうな存在で、実態は過保護&甘やかしまくりなのである。
しかし、これは、全く娘のためにはならない。
ええ、理性ではよーく分かっている。
自分の頭で考え、行動するためには、家庭という「管理された世界」から、未知の混沌へと飛び出し、親の考えなんか悠々と飛び越えていかねばならない。そのために私がすべきことは、今ぎゅっと強く握っているその手を離すことなのである。
その日を想像すると、私は今からもう泣きそうになる。だからせめてその日までは、一緒にいる時間をとことん楽しもうと思うのだ。

[日経DUAL 2019年12月17日付の掲載記事を基に再構成]
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
※ NIKKEI STYLE は2023年にリニューアルしました。これまでに公開したコンテンツのほとんどは日経電子版などで引き続きご覧いただけます。