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マリナーズがイチローに求める「薬」の役割
スポーツライター 丹羽政善

2020/4/13 3:00
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その日、イチロー(マリナーズ球団会長付特別補佐兼インストラクター)は薄暗い室内ケージで打撃投手を務めていた。別の日は、練習が終わり、誰もいないグラウンドでキャッチボールをしていた。今年の春は、大谷翔平(エンゼルス)を中心に取材していたので、イチローの姿を見掛けたのは数えるほど。キャンプをどう過ごしていたのかは報道でしか知らないが、多くの時間を若い選手らと過ごしていたようだ。

キャンプでキャッチボールするイチロー=共同

キャンプでキャッチボールするイチロー=共同

会長付特別補佐兼インストラクターとしては初のキャンプ。チームが求めるのはそうした若手のサポートということになるのだろうが、果たしてそれだけか。

ある日、スコット・サービス監督が、こんな話をしていた。「他の人には見えないものが、イチローには見える」

その一言は示唆に富むが、さらに突き詰めると、違う側面……いや、むしろ本質的な役割が浮かび上がる。どうだろう。それをイチローの言葉を借りるなら、「薬」と表現できるのではないか。

前回、イチローのこんな言葉を紹介した。「しょうがない。そういう時代だよね。病気ができたら、それを治す薬がその後しか出てこない。そういう時期なんだね」

これは、一部の行き過ぎたデータ偏重により、利用しているつもりが振り回され、結果として野球本来の面白さが失われている状況を憂い、かといってその大きなうねりにはあらがえず、潮目が変わるのを待つしかない。そんな状況を病気と薬の関係に例えたものだ。言い得て妙だったが、マリナーズが求めたのは、まさに潮目を変える役割、つまり薬なのではないだろうか。

続く低迷、データ分析に力入れるが…

長く低迷するマリナーズは、アストロズなどに倣いデータ分析に力を入れているが、残念ながら完全に周回遅れ。全体像を俯瞰(ふかん)できる人材もおらず、付け焼き刃的な対応に終始する。そうした流れの中で、選手を見ず机上の計算に頼るといった、未熟なチームにありがちなミスを度々犯してきた。

その一つが、二塁手としてゴールドグラブ賞を受賞したこともあるディー・ゴードンを2017年12月にトレードで獲得したのち、センターにコンバートしたこと。背景には、もはや内野手には守備範囲の広さを求めないという傾向が、確かにあった。

打者の打球方向を分析して、シフトを敷く。そのエリアさえ忠実に守ってくれればいい。ドジャースやアストロズなどが徹底していた。一方で、外野手には広い守備範囲を求める。マリナーズは、ゴードンの高い身体能力を二塁ではなく、センターで生かしてほしいと考えた。ゴードン本人も、「そういう説明を受けた」と18年のキャンプで明かしたが、誤算は彼が外野手に向いていなかったことか。

野球人生で外野を守るのは初めて。目測を度々誤り、反応も鈍い。左右の外野手との連係もぎこちなく、センターを守ることに強いストレスを感じていた。その年の5月、二塁を守っていたロビンソン・カノの禁止薬物使用が発覚し、出場停止処分が下るとゴードンは二塁に戻ったが、目玉の起用策をあっさり撤回するあたり、チームが過ちを認めたのも同然だった。

ゴードン(左)のセンターへのコンバートはうまくいかなかった=AP

ゴードン(左)のセンターへのコンバートはうまくいかなかった=AP

17年12月には、ショーン・アームストロングという投手をやはりトレードで獲得した。彼のフォーシームファストボールの回転率はリーグ屈指。ジェリー・ディポト・ゼネラルマネジャー(GM)は、「そこに魅力を感じた」と説明したが、もちろん、ボールの軌道を決めるのは回転率だけではない。18年はシーズン終盤に昇格すると実績を残したが、19年は故障で出遅れ、復帰してから立て続けに打ち込まれると、あっさりと戦力外となった。

データに詳しいトレバー・バウアー(レッズ)によれば、「回転率は指紋と同じ」。教えられたからといって習得するのが難しく、それ自体は貴重。回転数が高いなら、回転軸の修正や、他の球種との組み合わせ次第でそれをいかす術(すべ)はあるのに、そこまでは指導できず、なんとも中途半端だった。

アストロズはデータを軸に据えた改革により、17年から3年連続で100勝以上を挙げた。マリナーズはそれをモデルケースとして再建に取り組んでいるわけだが、その方向性に対して疑問を抱く人が内部にいないわけではない。ただ、舵(かじ)を切ったのがディポトGMであるだけに声を上げにくい。

イチローがセーフティーネットに

GMは「これは飛躍のためのステップバックプラン。21年からはプレーオフを争えるチームになるから、それまでは時間をくれ」と訴えて、くすぶる不満を封じているわけだが、来年もダメだった場合、彼は退場を迫られるだろう。そのとき残るのがデータを詰め込まれ、頭でっかちになった選手ばかりになる可能性がある。

それが想定される最悪のケースだが、それではまずいと、設けたセーフティーネットがイチローだとしたら、しっくりくる。

今の若い選手たちは、高校時代からデータに慣れ親しんでいる。よって、のみ込みが早い半面、派手な数字ばかりを気にする傾向がある。あるサイトには、打球の初速の全米高校ランキングなどが掲載され、それをスカウトらも利用しているため、歯止めがかからない。

高校の指導者も苦々しく思っているが、そういう環境で育った選手らというのは例えば、詰まらせてショートの後ろに落とすというイチローが得意とするような技術があることを知っているのだろうか。それは応用編だとしても、一塁走者がスタートを切ったら、打者はきっちりボールを見送る。二塁ゴロなら捕手が悪送球に備え一塁のカバーに走る、といった基本はどうか。

野球にはそうした数字に表れないプレーが少なくなく、それを教えるため若い選手にイチローと同じ時間を過ごさせる。求められれば、あの場面では例えばこういう選択肢もある、とイチローが伝える。それはメジャーに上がったとき、確実に選手の財産となる。

イチローの「会長付」という肩書にスタントン会長の思惑が見え隠れする=AP

イチローの「会長付」という肩書にスタントン会長の思惑が見え隠れする=AP

通常、イチローのような立場は、単純に特別コーチだったり、GM付のインストラクターだったりすることが多い。しかし、「会長付」という肩書にジョン・スタントン会長の思惑が見え隠れする。昨年4月半ば、まだ会長付特別補佐兼インストラクターに就任する前のことだが、イチローにどんなポストを用意するつもりなのかと会長に聞くと、「望む形で関わってもらえれば」と言いつつも、こう言葉を添えた。

「若い選手に、野球選手としての心得を伝えてほしいと考えている」

そこにはもちろん、イチローにしか「見えないもの」への期待も、にじんでいた。

イチローフィールド 野球を超えた人生哲学

出版 : 日本経済新聞出版社
価格 : 1,650円 (税込み)

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