明智光秀 近江生まれ? 滋賀で史料、「美濃」に一石
とことん調査隊

関西タイムライン
2020/4/7 2:01
保存
共有
印刷
その他

今年のNHK大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」の主人公、戦国武将の明智光秀は美濃国(現在の岐阜県)生まれとして知られる。ドラマも通説に従うが、近江国(滋賀県)生まれとする新説が滋賀県の職員によって提唱された。イケメン俳優が爽やかに演じて、かつての謀反人のイメージは一変しつつある。関ケ原を挟んだ出生地の綱引きは西か東か。

新説は1年前、滋賀県立琵琶湖文化館の研究紀要に発表された。まずは論文を書いた同県文化財保護課主幹の井上優さんに根拠を聞こう。

「江戸時代前期に成立した『淡海(おうみ)温故録』という地誌があります。現在の滋賀県多賀町の佐目という地域の説明に、明智十左衛門が美濃から移り住み、2~3代後に十兵衛光秀が生まれたという記述を見つけました」と説明する。美濃の土岐氏系の一族で、近江の六角氏を頼ったとある。同じ著者による「江侍(ごうじ)聞伝録」にも同様の記述が確認された。

一方、いくつかある美濃説の共通の根拠は同時代に書かれた「立入(たてり)左京亮入道隆佐記」。光秀についての「美濃国住人ときの随分衆也」という記述だ。井上さんによると、光秀は当時、近江の坂本城を本拠としており、この記述は一族の出身地を指しているとの解釈を示す。

もう一つ、井上さんが強調するのは現地に、様々な光秀の伝承が残っていることだ。鈴鹿山脈の西側にある佐目の集落に行くと、地元グループ「佐目十兵衛会」を立ち上げた会長の見津(けんつ)新吉さんらが迎えてくれた。

見津家の口伝によると、一族の祖先は光秀の家臣だった。その名前から与えられた姓は本来なら「みつ」と称すべきだが、恐れ多いので「けんつ」と読み替えたという。集落には以前から「十兵衛屋敷」といわれる平地があり、「カミサン池」と呼ばれる湧水池も光秀が掘ったと伝えられている。

同会の広報担当、澤田順子さんは「明智十兵衛光秀 謎多きルーツに迫る 多賀出身説」と題した冊子を出した。「今は限界集落寸前の状態だが、地域の誇りを発信して、出身者に目を向けてもらうきっかけにしたい」と話す。

新たに提起された近江説に対して、美濃説をとる研究者はどう考えているのか。室町幕府の家臣団に詳しい東洋大学准教授の木下聡さんを訪ねた。「結論からいうと、現在ある史料からは光秀の出生地は確定できません。ただ当時の状況から推測すると、私は美濃で生まれた可能性が高いと考えています」。

木下さんが注目するのはドラマにも「熙子(ひろこ、名前には諸説あり)」として登場する光秀の妻だ。近江と離れた美濃東部に勢力を持つ妻木氏の一族とされる。光秀が近江生まれなら、まだ世に出る前の光秀と婚姻関係を結ぶ合理的な理由がないとみる。

光秀はいったい何者なのか。室町幕府の構成員を示す史料には足軽衆の中に、光秀を指すとみられる明智の名がある。この低い序列から木下さんは「土岐氏系の明智氏の嫡流から遠いのは明らか。一族が美濃・明智城主に取り立てられて、明智姓を名乗った可能性もある」と指摘する。

綱引きに決着はつかなかった。井上さんに近江説提唱の経緯を聞くと、ドラマ制作の発表を受けて光秀に関する講演が続き、ネタに困って出生説を掘り起こしたという。調べると予想以上に手応えがあった。「近江説が光秀の謎に対する関心を高め、新たな史料の発掘につながればいいんです。それが美濃説を確定するものであっても」と話す。

放送中のドラマは美濃の武将、斎藤道三が父子2代でのし上がったという最新の知見が生かされている。研究の進展がドラマづくりに影響すると同時に、ドラマの盛り上がりが史実究明の機運をつくると期待したい。

(木下修臣)

保存
共有
印刷
その他

電子版トップ



[PR]