幾多の改築 終端駅の風格 阪急・大阪梅田駅110年
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関西タイムライン
2020/4/9 2:01
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大阪梅田駅は9線10面のホームを持つ

大阪梅田駅は9線10面のホームを持つ

阪急電鉄の大阪梅田駅が3月に開業110周年を迎えた。乗降客数こそ東急電鉄の渋谷駅などに届かないものの、9線10面のホームを持つ堂々たるターミナルは私鉄最大級。開業以降、何回もの改築を経て現在の形になったが、創業者である小林一三の「御乗客のため」という考えがいまも随所に息づいている。

毎時0分、10分、20分、30分、40分、50分。神戸線特急、宝塚線急行、京都線特急が10分おきに一斉に発車していく。他社では見られない壮観な光景は午前9時台から夜まで続く。

ホームの面積は約1万2000平方メートルと、阪神甲子園球場(兵庫県西宮市)のグラウンドよりやや狭い程度。平日に約1660本、土休日に約1360本の電車が発着する。乗降客数は2018年度の平日で平均約55万人に上る。東急の渋谷駅が東横線と田園都市線を合わせて約117万人なのと比べると少ないが、途中駅ではなく全列車が発着する「終端駅」としての風格を誇る。

多くの乗客を効率よくさばくため2階と3階にそれぞれ改札口を設け、自動改札機86台、エスカレーター48基、防犯カメラ126台を配置する。3階改札口には自動改札機41台がずらりと並ぶ。その規模はおそらく日本一だ。

駅が現在の姿になるまで幾多の変遷があった。箕面有馬電気軌道として1910年に開業したとき、梅田駅(現在は大阪梅田駅に改称)は今の阪急うめだ本店付近にホーム1面だけで誕生した。発車するとすぐに左へカーブし、坂を上って跨線橋(こせんきょう)で東海道本線を越えた。26年には高架化され、29年に日本初の本格的ターミナルデパートの阪急百貨店が開店する。

しかし、当時の鉄道省は大阪駅を高架化するため、阪急の線路を地上に戻すよう要求した。阪急側は抵抗するも押し切られ、34年に地上駅への切り替え工事が実施された。

戦後、乗客が増えると、国鉄(現JR)の大阪駅南側の敷地では輸送力増強に対応できなくなる。そこで阪急は大阪駅北側への駅移設を計画した。67年にまず神戸線、69年に宝塚線、71年に京都線と順次移設する大工事を経て、現在の姿となった。このときに日本初の動く歩道「ムービングウォーク」を設けている。

実は大阪梅田駅に駅長は6人いる。中津、十三を含む3駅の梅田管区全体を担当する統括駅長が1人。ほかの5人は交代で24時間、3駅を担当している。三木恵介・前統括駅長(59)は「日本有数のターミナルという自覚と誇りを持ち、他社の駅に負けないよう仕事をしている」と話す。

車椅子の乗客から「係員の対応が冷たい」という声が寄せられると、障害者団体に声をかけて意見交換会を開いた。「介護者と話すのでなく車椅子に乗っている自分と話してほしい」といった意見をスタッフで共有している。「お客様の言葉に真摯に耳を傾けて対応することを一番大事にしている」(三木氏)

「職務に注意し 御乗客を大切にすべし」など、創業者が残した「五戒」の精神が生きている。「利用者から小林一三の精神を分かっているかと尋ねられることもある」と話すのは土田和也駅長(54)。「五戒新聞」を編集し、若手の教育に生かしている。

その精神は細部に宿っている。ホームの黒い床がピカピカなのは外注の清掃係員が1日平均25人、巡回して終電後に特殊な液で床面を磨いているからだ。

神戸、宝塚、京都の各線ごとに発車メロディーも異なる。神戸線はみなと神戸の「海」、宝塚線は宝塚歌劇の「高級感・上質感」、京都線は古都の「竹」をイメージしている。意外に知られていないのが最終電車のメロディーで、各線の発車5分前から「第三の男」が流れる。以前は「蛍の光」だった。

2012年5月から15年3月には「劇場空間 阪急スタイル」をコンセプトに、華やかさやエレガントさを追求する「リファイン工事」を実施した。例えば、1~2階のビッグマン前広場の天井照明は1日に3回変え、朝10時までは元気が出るよう白色、午後5時から最終までは疲れを癒やしてもらうためオレンジ色にしている。阪急ブランドを維持する工夫と取り組みが大阪梅田駅の伝統を支えている。

(編集委員 宮内禎一)

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