小型ディーゼルを農機に ヤンマー創業者、執念の世界初
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2020/3/26 2:01
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1933年、ヤンマーが世界で初めて小型化に成功した「横形水冷ディーゼルエンジンHB形」(滋賀県長浜市)

1933年、ヤンマーが世界で初めて小型化に成功した「横形水冷ディーゼルエンジンHB形」(滋賀県長浜市)

ドイツのルドルフ・ディーゼル博士がディーゼルエンジンの特許を取得したのは1892年のことである。同時期に論文「合理的な熱機関の理論と構造」を発表した。シリンダー内の空気を圧縮した際の温度上昇を利用して燃料に着火・爆発させるディーゼルエンジンは、点火プラグを使う他のエンジンより燃費効率が高い。ただしサイズが大きいのが難点だった。

ルドルフ・ディーゼル博士=MAN社提供・DPA・AP

ルドルフ・ディーゼル博士=MAN社提供・DPA・AP

世界中の機械メーカーが小型化に挑み、初めて成功したのがヤンマー創業者の山岡孫吉氏だ。1933年に完成した「横形水冷ディーゼルエンジンHB形」は3馬力で高さ95センチ、横120センチ、奥行き74センチで重さは500キロ。実機がヤンマーミュージアム(滋賀県長浜市)に展示されている。

ディーゼル博士ゆかりの独MAN社は小型化の功績を高く評価し、現存する世界最古のディーゼルエンジン2機のうちの1機をヤンマーに寄贈した。1899年製で高さ3.2メートル、重さ5.8トン、20馬力のエンジンはヤンマー尼崎工場(兵庫県尼崎市)で見ることができる。

滋賀県南富永村(現長浜市)の農家に生まれた山岡氏は奉公に出た大阪でガスエンジンの商売を始め、12年に山岡発動機工作所(現ヤンマー、大阪市)を興した。その後、始動時はガソリン、途中から石油に切り替わる石油発動機の製造・販売で財をなした。

欧米を訪ね歩く

事業は順調だったが労働争議に巻き込まれて仕事に嫌気がさし、32年2月、シベリア鉄道経由でドイツに向かった。12世紀から続くライプチヒ・メッセ(見本市)でMAN社が大型ディーゼルエンジンをPRする映画を何回も繰り返して見た山岡氏はディーゼルに魅了された。既に日本でも船舶用の大型ディーゼルは国産化済み。小さくし、農業機械に積もうと決め、情報収集で色々な工場を訪ね歩き、部品を発注した。ドイツ滞在は50日に及んだ。

独MAN社から寄贈された世界最古の実用ディーゼルエンジン(兵庫県尼崎市)

独MAN社から寄贈された世界最古の実用ディーゼルエンジン(兵庫県尼崎市)

さらに米国に渡り、32年7月、5カ月ぶりに帰国した山岡氏はディーゼルエンジンの小型化に着手した。開発は遅々として進まない。「単に小さくするだけでは排気量あたりの表面積が増え、圧縮熱の損失で着火が難しい」とヤンマーの苅田広技術顧問は語る。

燃焼室の形状を何回も変え、燃料噴射ポンプの試作を繰り返したが、不完全燃焼で黒煙を噴き出した。先行投資がかさみ、取引先銀行が融資を渋り始めるようになった。

船舶から農機に

改良に改良を重ねた33年12月23日朝、ついにHB形は黒煙も吐かず、小気味よく回転を始めた。銀行に電話で伝えると、間もなくこもかぶりの大きな酒だるが届いた。「小型ディーゼル完成御祝」と大書した紙が貼り付けてあった。

みんなで歓喜の涙を流しながら祝杯を挙げていると外から皇太子さま(現在の上皇さま)のご誕生を報じる「号外」の声が聞こえてきた。「またもうれし泣きのうちにバンザイを繰り返した」と山岡氏は「私の履歴書」に書いた。

戦後、ヤンマーは海軍の技術将校だった横井元昭大佐や近藤市郎少将らを迎え入れ、船舶用ディーゼルエンジンの設計を一新した。漁船用で大ヒットし、旧式の焼き玉エンジンを次々と置き換えた。ディーゼルエンジンを搭載した耕運機やトラクターなど農業機械でもヤンマーは存在感を高めていった。

58年は独アウクスブルク市で「ディーゼル博士生誕100年祭」の開催が決まっていた。感謝の気持ちを表すために山岡氏は銅像を贈ることを思い立つ。この計画が本格的な日本式庭園へと発展し、生誕祭前年の57年、アウクスブルク市に「ディーゼル記念石庭苑」を寄贈した。山岡氏はディーゼル記念石庭苑の中央に鎮座する重さ二十数トンの巨石に献辞を刻んだ。

「ディーゼル博士、あなたはいまもなお日本のすみずみいたるところに生きています」

(編集委員 竹田忍)

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