富士フイルム「アビガン」で透ける難路の医薬品事業
グロービス経営大学院教授が「アンゾフのマトリクス」で解説

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2020/3/27 2:02
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中国の科学技術省は、富士フイルム富山化学が開発した抗インフルエンザウイルス薬「アビガン」について、新型コロナウイルスの治療に有効だと発表しました。この報道を受け、一時、富士フイルムHDの株価が急騰しましたが、翌日には急反落します。中国ではアビガンの物質特許が切れており、製法特許も強くないと判断されたためです。つまり、中国でアビガンの後発薬(ジェネリック薬)が売れても、富士フイルムには一銭も入ってきません。富士フイルムはなぜ、一筋縄ではいかない飛び地の医薬品事業を手掛けているのでしょうか。グロービス経営大学院の金子浩明教授が、「アンゾフのマトリクス」を用いて解説します。

【解説ポイント】
・コア技術が競争優位の源泉
・写真フィルムのノウハウ転用がカギ
【関連記事】
・富士フイルムのアビガン、中国「新型コロナに有効性」

■医薬品事業参入は難しい

富士フイルムは2008年に富山化学(当時)の買収によって医療用医薬品事業に本格参入しました。富士フイルム富山化学の売上高は現在非公表ですが、2018年3月期の売上高は184億円です。同年度の富士フイルムHDの売上高は約2.4兆円でしたので、医薬品事業が全社の業績に与える影響は小さいといえます。

富士フイルムが富山化学を買収した目的は、「診断が中心だったメディカル・ライフサイエンス事業を治療に拡大し、大きく成長させていくため」(古森社長・2008年当時)です。当時3000億円だったヘルスケア領域を2018年までに1兆円にするのが目標でした。しかし、2019年3月期時点でヘルスケア領域の売上高は4843億円にとどまっています。

その売り上げの7割はX線撮影装置、超音波診断装置、内視鏡などの診断機器で、残りの3割が化粧品や再生医療関連、医薬品という構成です。古森会長は2017年にメディア取材に対して「医薬品+再生医療は赤字」とコメントしています。以上のことから、医薬品事業については参入当初のもくろみが外れたといっていいでしょう。

■企業の成長戦略を4分類

さて、アンゾフのマトリクスは、経営学者のイゴール・アンゾフによって提唱された、企業における成長戦略の方向性を探るためのフレームワークです。アンゾフによると、企業の成長戦略は製品と顧客市場の組み合わせにより4つのタイプに分類されます。富士フイルムの医薬品事業はどれに当てはまるのでしょうか。

診断に用いる医療機器と治療に用いる医薬品は製品が異なります。また、顧客も同じではありません。例えば、富士フイルムのX線画像診断装置は、放射線科の医師や技師が顧客です。一方、富山化学が開発していた製品は、抗ウイルス薬や、抗リウマチ薬、アルツハイマー病治療薬でした。富士フイルムの医薬品事業への進出は「多角化戦略」に分類されます。

アンゾフによると、4つの成長戦略の中で最も難易度が高いのが多角化戦略です。未経験の市場で新たな製品を扱うわけですから当然です。富士フイルムの医薬品事業が伸び悩んでいるのも、そもそも難易度が高いから仕方がないのかもしれません。とはいえ、富士フイルムは多角化戦略で成功事例を数多く生み出してきました。例えば、化粧品の「アスタリフト」や、液晶ディスプレーの視野角拡大フィルムの「WVフィルム」などです。これらの成功事例と医薬品事業では、何が違うのでしょうか。

■カギは「コア技術と地続き」

アスタリフトとWVフィルムには共通点があります。それは、社内に蓄積していた独自のコア技術を活用したという点です。コア技術とは「基盤技術を基に生まれた、持続的に競争優位性を築くための核となる技術」(富士フイルムHPより)です。アスタリフトにはフィルムづくりで培われた「コラーゲン研究、光解析・コントロール技術、抗酸化技術、ナノテクノロジーの知見」が生かされています。WVフィルムは写真用のフィルムや感光紙で培われた「ポリマーフィルムを製膜し、塗布で高機能化する」技術が生かされています。つまり、製品は未知ですが、核となる技術は既知だったということです。

歴史的に富士フイルムの多角化事業は、「コア技術と地続き」である場合に成功しているケースが多いです。例えば、1960年代の磁気記録テープ、80年代のドライケム(血液中の化学成分を測るための多層分析フィルム)や感熱紙は、写真フィルムで培ったコア技術が競争優位の源泉となっています。

一方で「コア技術の飛び地」の多角化戦略の成功例は乏しいです。開発途中で市場参入を断念した事例として、90年代の制癌剤や2次電池があります。これらの製品はコア技術を転用できる余地が小さかったこともあり、競争優位を構築できませんでした。

■使いこなしに時間必要

技術的な「飛び地」に多角化する場合は、M&A(合併・買収)によって外部から技術を導入するのが理にかなっています。富士フイルムの医薬品事業がその典型です。しかし、買収しただけでは競争優位を構築するのは難しいです。なぜなら、外部から導入した技術は使いこなせるようになるまでに時間がかかるからです。そのため、自社が持っている何らかの資産と組み合わせて、シナジー効果を出す必要があります。シナジー効果とは「企業の資源から、その部分的なものの総計よりも大きな一種の結合利益を生み出すことのできる効果」です。アンゾフはシナジーを4つに分類しています。

(1)販売シナジー:共通流通経路、共通販売組織、共通広告、共通商標、共通倉庫などによって生まれるメリット

(2)操業シナジー:施設と人員の高度な活用、間接費の分散、共通の学習曲線、一括大量仕入れなどによって生まれるメリット

(3)投資シナジー:プラントの共同使用、原材料の共同在庫、機械設備の共同使用、研究開発成果の他製品への移転、共通の技術基盤、共通の材料調達、共通の投資機会などによって生まれるメリット

(4)マネジメント・シナジー:業務現場を管理する手法、事業運営のノウハウ、経営陣の能力と経験などの移転可能性によって生まれるメリット

富士フイルムの医薬品事業において最も重要になるのは、(3)投資シナジーに分類される「研究開発の成果や技術のシナジー」です。なぜなら、技術的に難易度が高い製品を中心に開発しているからです。もちろん、富士フイルムもこのことは承知しているでしょう。

現在、富士フイルム富山化学では薬剤を患部に選択的に送り、薬効を高めるリポソーム(細胞膜や生体膜の構成成分をカプセル状にした微粒子)製剤の生産体制を構築しています。写真フィルムで培ったナノ分散技術、解析技術、生産技術が生かされているようです。また、近年同社が力を入れているのがバイオ医薬品と再生医療です。こうした分野でも、写真フィルムや画像診断装置で培ったノウハウが転用されています。今後、どのように技術的なシナジーが生み出されるのか注目です。

かねこ・ひろあき
グロービス経営大学院教授。東京理科大学院修了。リンクアンドモチベーションを経て05年グロービスに入社。コンサルティング部門を経て、カリキュラム開発、教員の採用・育成を担当。現在、科学技術振興機構(JST)プログラムマネジャー育成・活躍推進プログラム事業推進委員、信州大学学術研究・産学官連携推進機構信州OPERAアドバイザー。

アンゾフのマトリクス」についてもっと知りたい方はこちら

https://hodai.globis.co.jp/courses/5dd9c070(グロービス学び放題のサイトに飛びます)

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