戦時下と重なるコロナ危機下の歌舞伎

2020/3/31 2:00
保存
共有
印刷
その他

2020年3月の公演を中止した歌舞伎座

2020年3月の公演を中止した歌舞伎座

3月の歌舞伎は、東京だけでも歌舞伎座、国立劇場に明治座も参戦して3座での公演が予定されていたが、歌舞伎座が2月末に政府の自粛要請を受けてとりあえず3月10日までの上演中止を決めたのを皮切りに、二転三転の末、3月公演の全面中止を決定する事態となった。他の2劇場、更に関西その他の各劇場も同様の経緯を辿(たど)った末に中止を決定したから、この月は歌舞伎公演がゼロという前代未聞の結果となった。

歌舞伎公演が窮地に追い込まれた先例は、戦時中にもあった。「松竹百年史」によれば、日本本土へ空襲が現実問題となった1944年2月、時の政府が「決戦非常措置要綱」なるものを発令、待合・芸妓(げいぎ)屋・高級料亭・バーなどと一緒に演劇・映画などの娯楽も取り締まりの対象となった。各劇場は公会堂や避難所、風船爆弾の製造工場などに指定され、若干のお目こぼしで興行を許された一部の劇場も勤労者の慰安が優先された。新橋演舞場は戦火が激しくなる中でも公演を続けたが、45年5月25日の大空襲で、歌舞伎座もろとも灰燼(かいじん)と帰した。

それでも、翌6月には京都南座で東西唯一の歌舞伎公演、7月は31日に東京の日比谷公園の小音楽堂で初代吉右衛門一座が野外上演、更に8月に入り、初代猿翁が東劇で東京都主催の罹災者(りさいしゃ)慰問公演として得意の「橋弁慶」「弥次喜多」を終戦前日の14日まで上演。翌15日から月末までは休演したが、9月には「橋弁慶」を「黒塚」に差し替えて開場、これが終戦後最初の歌舞伎公演となった。戦時下でも、歌舞伎が全国的に消えた日は1カ月間もなかったことになる。

このころ、名優六代目菊五郎は「私の死に場所は舞台以外にございません」と観客に向かって叫び、観客も鉄兜(てつかぶと)や防空頭巾にゲートル、もんぺ姿で握り飯持参、いつ警戒警報のサイレンが鳴るとも知れぬ中、観劇を続けたという。何と健気(けなげ)な役者たち、観客たち、そして興行者たちよ!

「戦争」を「コロナウイルス」に置き換えると、現代ともダブって見えてくる。今後はどうなるか。5月には十三代目團十郎襲名という大イベントが控えている。

(演劇評論家 上村 以和於)

保存
共有
印刷
その他

関連企業・業界 日経会社情報DIGITAL

電子版トップ



[PR]