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銀閣寺予定地1キロ南だった 長年の謎、古文書で特定

室町幕府8代将軍の足利義政が建立した銀閣寺(慈照寺)の当初予定地は、現在地から約1キロ南の京都市左京区南禅寺北ノ坊町だったことが分かり、大阪大谷大の馬部隆弘准教授(日本中近世史)が23日発表した。馬部准教授は「義満をまねて寺が集中する場所で隠居政治をしようとしたが、応仁の乱をきっかけに政治から逃避し、予定地も東山の外れとなる現在地に変えたのだろう」と話している。

京都市の銀閣寺=共同

馬部准教授によると、1465年に義政が南禅寺の子院の一つである「恵雲院」に銀閣寺となる東山山荘を設置すると決めたことや、2年後に始まった応仁の乱の影響で予定地が変更されたことはこれまでも分かっていたが、恵雲院が戦国時代に消滅したため、詳しい場所は不明だった。

恵雲院は義政に土地を明け渡すため移転したが、後の計画変更を受け跡地は禅林寺(左京区)に売却された。その際の「売券」と呼ばれる1583年の古文書が見つかり、謎だった恵雲院の所在地が判明した。この場所は景色もよく、庭園に引く水流も近くにあったことから予定地になったという。

愛知県刈谷市の故佐藤峻吉さんが1978年に名古屋市博物館に寄贈した古文書に含まれていた。馬部准教授は別の史料を見るため、博物館を訪れた際に恵雲院と記された古文書があることに気付いた。古文書は4月1~26日に同博物館で展示される予定だが、変更もあるという。

〔共同〕

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