奈良に能楽堂、良縁実る 大阪の料亭から舞台移設
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2020/3/19 2:01
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日本画家、前田青邨による松の絵が配された能舞台(奈良県桜井市の三輪山会館)

日本画家、前田青邨による松の絵が配された能舞台(奈良県桜井市の三輪山会館)

奈良県きっての神さびた神社、三輪山のふもとの大神(おおみわ)神社(桜井市)に、2019年11月、能楽堂ができた。舞台を飾る松の絵は、日本画の大家・前田青邨(せいそん)の作という折り紙つきで、かつて大阪・ミナミの料亭「南地大和屋」にあったものを移設した。能楽にゆかり深い奉納先への"良縁"が静かな注目を集めている。

能舞台は、旧境内に新築された三輪山会館内に組み込まれている。舞台を囲むように350席を配置。役者が登場・退場する通路「橋懸かり」をはじめ、銅板ぶきの屋根と千鳥破風も備えた格調ある造りだ。すでに舞台開きで観世流、金剛流、金春流の宗家や当主ら人間国宝が4日間にわたり日替わり出演した。

上方芸能の拠点

もともと能楽堂は大阪経済界の重鎮や文化人がひいきにした南地大和屋が造った。花柳界に伝わる上方芸能文化のよりどころにと、1965年、5階建てビルに改築するのに併せ、女将だった阪口純久(きく)さんが決断。床下には反響のための壺(つぼ)も納めた本格的なもので、思い切った投資だった。

80代にさしかかった前田青邨が松の絵の制作を引き受けたほか、作家の司馬遼太郎はこの能舞台を「おそろしいばかりに古格を踏み、しかも木口(きぐち)がつねににおうように息づいている」(柴田書店刊「大和屋歳時」収録「思想としての大和屋」)とたたえた。舞台では能だけでなく文楽や歌舞伎舞踊のほか、落語や琵琶演奏などが上演され、吉田簔助や、坂東玉三郎、桂米朝らが出演した。

能舞台の鏡板にはなぜか決まって松が描かれる。その理由を能楽にも造詣の深い奈良・興福寺の多川俊映寺務老院が語ってくれた。「松は神が降り立つよりしろ。演能する役者が神仏の照覧を意識し、心して演じようと身を引き締めさせる意味合いがある」

「最古の神社」へ

2003年に南地大和屋が休業すると、能楽堂を譲り受けたいと名乗りを上げる所望先がいくつか現れたが、近畿日本鉄道会長だった山口昌紀氏の口利きもあり、能楽発祥の地でもある奈良がふさわしいと大神神社への奉納が決まった。

大神神社の参道に立つ大鳥居と神体の三輪山(奈良県桜井市)

大神神社の参道に立つ大鳥居と神体の三輪山(奈良県桜井市)

奈良県に古い格式を誇る神社は多いが、大神神社は格別。国語辞典「広辞苑」(第七版、岩波書店)にさえ「日本最古の神社」と記されている。

その根拠について大神神社広報課長で主任研究員の山田浩之さんは「日本最古の歴史書、古事記の文中に神社ということばがでてくるとき、ほかでもない当社を指すからです」と説明する。古さを裏付けるように、大神神社は他の神社ならごく普通にある、神をまつる本殿がない。優美な円すい形の山裾を持つ三輪山を神体とするため、三輪山を直接拝する古い祭祀(さいし)のかたちを守ってきたという。

こうした古さにあやかってか、室町時代、能を大成させた世阿弥の理論書「風姿花伝」には、能の由緒を大神神社に結びつけたくだりがある。古墳時代の終わりごろ、大和の初瀬川に洪水が起き、流れてきた壺(つぼ)に赤子が入っていた。この子が内裏に召され、長じて大和猿楽の遠祖となったという。「赤子が拾われたのが三輪の杉の鳥居の辺りということです」(山田課長)

能楽は奈良とゆかりが深い。金春流・金剛流・宝生流・観世流の母体となる大和猿楽四座もかつては春日大社・興福寺に奉仕し、薪能などを演能していた。そのわりに奈良県内には能舞台を備えた社寺が少ないという。

新たな能楽堂は今後、活用法を大神神社で探っていくが、目先の4月10日、毎春恒例の大神祭(おおみわまつり)を締めくくる後宴能が、従来の屋外からここに舞台を移して奉納される予定だ。多川老院は「立派な能楽堂がゆかりある奈良の神社にできたのは喜ばしい。これからが楽しみ」と期待している。

(編集委員 岡松卓也)

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